覚え書:「書評:童謡の近代 周東美材 著」、『東京新聞』2016年01月17日(日)付。

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童謡の近代 周東美材 著

2016年1月17日
 
◆子供が輝くメディア文化
[評者]野上暁=児童文化研究家
 十九世紀末に、二十世紀は「児童の世紀」だと述べたのは、スウェーデンの教育学者エレン・ケイだったが、著者は「メディアの世紀」でもあったという。一九二〇年代の近代日本の社会変動は、子どもとメディアが構造的に結びついてゆく変容のプロセスだった。本書は「童謡」を通してのメディア文化形成をたどり、子どもが担った決定的な役割を浮かび上がらせた画期的な子ども文化論。
 「童謡」という語は、古くは『日本書紀』にも用例が見られるが、今日的な概念が一般化するのは、一九一八年に鈴木三重吉が『赤い鳥』を創刊してからである。明治政府が子守唄や手毬(てまり)歌などを俗歌俗謡として排斥し、小学唱歌を普及させるが、三重吉や北原白秋らは、その非芸術性に抗して童謡を屹立(きつりつ)させ、都市の新中間層に支持されてブームが起こった。
 童謡の創作と普及は、成田為三(ためぞう)や山田耕筰(こうさく)らに曲譜化され、レコードという新しいメディア技術と結びつき、初期のレコード産業や日本における西洋音楽の大衆化にも大きな役割をはたす。印刷文化から二次元的な声の文化へと移行する過程で果たした、子どもの身体性についての考察は新鮮だ。
 三重吉は児童文化の気鋭の事業家、と著者はいう。宝塚歌劇団松竹歌劇団に匹敵するような赤い鳥児童歌劇学校の設立に奔走し、メディア産業と結託した三重吉に企業家としての一面を見るあたりは、児童文学史を書き換える卓見だ。
 そして近代日本のメディア文化の歴史には、可愛(かわい)らしさ、たわいなさ、純粋さ、悪戯性といった児童性への信奉という特徴を見いだす。それは、今日世界で受容される日本のサブカルチャーの魅力にもつながっているようだ。「子どもとは挑発を仕掛ける存在であり、社会や制度の中に単純に回収されない余剰だ」からこそ、「我々の認識に新たな閃(ひらめ)きを与えてくれる」という著者の子ども認識に快哉(かいさい)を叫びたい。
 (岩波現代全書・2700円)
<しゅうとう・よしき> 1980年生まれ。東京大特任助教、文化社会学
◆もう1冊 
 渡辺裕著『歌う国民』(中公新書)。唱歌・校歌・労働歌などをめぐり、近代社会と日本人の歌声文化の関わりあいの歴史を叙述。
    −−「書評:童謡の近代 周東美材 著」、『東京新聞』2016年01月17日(日)付。

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