覚え書:「今週の本棚:藻谷浩介・評 『奇跡の村−地方は「人」で再生する』=相川俊英・著」、『毎日新聞』2016年01月24日(日)付。

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今週の本棚
藻谷浩介・評 『奇跡の村−地方は「人」で再生する』=相川俊英・著

毎日新聞2016年1月24日 東京朝刊
 
 (集英社新書・799円)

人口減少時代に生き残る地域とは

 「いろいろな話は聞こえてくるが、実際のところは、何がどうなっているのか」。これは、ありとあらゆる事象に関して抱くべき問いだ。

 本当は「百聞は一見に如(し)かず」である。現場に身を置き当事者の話を聞かねば、理解のプロセスが始まらない。だが、一個人が動ける範囲は限られる。だから、ジャーナリストという事実伝達のプロの助けが必要だ。学者もいるが、彼らの多くはイカをスルメに加工してしまう。生(なま)ものである情報を、生ものに再生しやすい形で言語化すること、複雑な現実を複雑なままさっと一夜干しにして提供することは、プロのジャーナリストの領分だ。この本の著者・相川俊英氏は、そんなプロの一人である。

 掲題書の「奇跡の村」とは長野県下伊那郡下條(しもじょう)村。飯田市の南隣の山村だ。「奇跡」は大げさではない。1990年から2010年までの20年間、現役世代の数も子供の数も横ばいだった市区町村は、評者の知る限り日本中でここだけだ。2005−10年には高齢者の数も横ばいとなり、世代別人口の完全な安定が実現した。この間に総人口が増えた自治体なら東京の都心部を筆頭に多数あるが、そのいずれでも主に高齢者が急増していただけだし、子供は都会でも田舎でもほぼ一様に減っていた。下條村だけがなぜ、そのような「少子化」や「高齢化」を免れたのか。現地取材を重ねてきた著者による、奇跡の原動力のルポが、掲題書の第一章なのである。

 一夜干しであってスルメではないだけに、さっと読めてすぐ抜けてしまうかもしれない。訓練されたジャーナリストである著者は、文章の中に余計な解釈や意見を差し挟まないものだから、かえってカリスマ村長の功績以上のものを読み取りにくいかもしれない。だが、日本創成会議の試算で「消滅可能性全国一」とされた群馬県南牧(なんもく)村(長野県南牧(みなみまき)村との混同に注意)に分け入る第二章を合わせ鏡のように読み、相模原市に合併されてしまった神奈川県旧藤野町(ふじのまち)の今を探る第三章をも読んで、この3地点の現状を頭の中で転がして考えていくうちに、「やはり物事は生々流転の中にあって、未来は現状の単純な延長上にはない」ことがわかるのではないか。

 「天地人」というが、地の利も、それを活かすための人材も、どこの場所にも潜在はしている(後者は呼び込めもする)。問題は彼らにしかるべきタイミングで力を与え、天の時をつかめるかどうかだ。しかし一つ逃しても次の時があったりするし、逆に一旦時を得ても次が来るとは限らない。事実、掲題書にはないが下條村の2010年以降の人口動向は、村が掴(つか)んできた天の時の陰りを示す。逆に南牧村の消滅一番手ノミネートは、今こそ天の時という狼煙(のろし)なのかもしれないし、合併で行政機能を手放した旧藤野町でも、逆にキーパーソンの自由度が増して、大化けの予感がある。

 各種の合理的な見通しでは、日本の人口は向こう半世紀で3分の2に減ることが確実だ。人口大幅減少の時代に、生き残るのはどのような地域か。逆に人口増加が止まるだけのことで行き詰まる地域もありはしないか。そう考えつつ掲題書を読み直してみれば、3地域がそれぞれに、紆余(うよ)曲折しつつも何とか未来に続いていく姿が見えてくる。反対に、今後40年間にわたり後期高齢者の激増に見舞われる大都市部の行く末は、まったく予断を許さない。

 地域も企業も、複雑な構造を持ち時とともに変化していく生ものだ。プロのジャーナリストの手になる一夜干しが、机上で素人の量産する安直なネット情報の海の中に埋没する時代の来ないよう、心より願う。
    −−「今週の本棚:藻谷浩介・評 『奇跡の村−地方は「人」で再生する』=相川俊英・著」、『毎日新聞』2016年01月24日(日)付。

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