覚え書:「書評:黄昏客思 松浦寿輝 著」、『東京新聞』2016年01月24日(日)付。

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黄昏客思 松浦寿輝 著

2016年1月24日
 
◆終生続く少年の記憶
[評者]稲川方人=詩人
 昼が終わるのか、夜が始まるのか曖昧な薄暮の時刻、「境界」を失ったかに見える時空を著者は好む。「主」と「客」の混交を語る冒頭からその嗜好(しこう)は貫かれており、著者の身体の内奥を覗(のぞ)くかのような一書だ。母の鏡台の鏡に口紅で線を塗った幼少期の性的な記憶、パリ留学時代、映画館を出て深夜の街路を歩きながらコントレスカルプ広場へと迷い出た記憶など、作家の身体から離れることのなかったさまざまな出来事が、柔らかな筆致で書かれている。
 そこには古今東西の数多くの先達たちの仕事が引用され、著者が稀有(けう)な知識人であることが改めて確認できるが、いささかも「知」の優位を誇ったりはしない。ある事柄への一方的な断言を慎(つつ)ましく戒める知性の強さが隅々に感じられる。
 「文人」という言葉をせせら笑う手合いとは一秒たりとも対座したくないと結ぶ故・川村二郎を追想する二篇は、「知性」への著者固有の関わりが読み取れて興味深い。対立することのなかった川村の「しなやかさ」と「強固な確信」を敬愛した自身の志向がそこに投じられている。生家近くの東京・台東区の裏町の面影を語る最後の一篇「幼時永遠」は必読である。生の光と影がいつまでも在るわけではないと語る老境に達した作家を、しかし終生捉え続ける少年期に見た風景の記憶には誰もが深くうなずくだろう。
文芸春秋・1890円)
 <まつうら・ひさき> 1954年生まれ。小説家・詩人。著書『半島』『吃水都市』など。
◆もう1冊
 吉田健一『時間(新装版)』(青土社)。人間にとっての時間の意味を考察し、自由な境地に思いをはせたエッセー集。
    −−「書評:黄昏客思 松浦寿輝 著」、『東京新聞』2016年01月24日(日)付。

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