覚え書:「今週の本棚・この3冊 思弁と信仰 清水正・選」、『毎日新聞』2016年1月31日(日)付。
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今週の本棚・この3冊
思弁と信仰 清水正・選
毎日新聞2016年1月31日 東京朝刊
清水正(まさし)・選
<1>芸術の門(松原寛著/大阪屋号書店/絶版)
<2>ちくま日本文学003 宮沢賢治(宮沢賢治著/ちくま文庫/950円)
<3>罪と罰上・中・下(ドストエフスキー著、江川卓訳/岩波文庫/907−1102円)
松原寛は明治25(1892)年、島原半島に生まれた。ミッションスクールで英語を学び、キリスト教に入信。現役で第一高等学校に合格し、卒業後は西田幾多郎に師事すべく京都大学哲学科に進んだが、信仰への懐疑が生じ、煩悶(はんもん)する哲学徒となった。その後、カント、ヘーゲル研究を重ね、哲学は宗教と不即不離の関係にありと認識し、総合芸術の殿堂(日大芸術学部)建設に邁進(まいしん)した。書斎派の哲学に満足せず、現代のソクラテスとして「街頭の哲学」に徹した。
古今東西の哲学者を自家薬籠(やくろう)中のものとする松原哲学(宗教・芸術)は深遠な思想を湛(たた)えている。二十数冊の著作は現在、すべて絶版だが、是非、『芸術の門』を読んで、松原の煩悶・求道(ぐどう)・創造の息吹に触れていただきたい。
松原の精神的支柱には親鸞(しんらん)と日蓮(にちれん)がいた。一方、賢治は法華経信者だが、ユダヤ・キリスト教への造詣も深い。『銀河鉄道の夜』『ポラーノの広場』『貝の火』『オツベルと象』などは恐るべき多くの謎を湛えている。
賢治童話には悪・力・エロスが満載で、きれいごとではすまされない。<2>収録の「やまなし」のクラムボンは母親である。子蟹(こがに)たちが問うているのは、母親が殺されるときに笑っていたことだ。が、思弁によっては不条理を告発できても解決できない。賢治は<不在の母>をも大きく包む母性<川の水・やまなし>を予(あらかじ)め用意していた。賢治の法華経信仰は確固たるものだったが、不断に不信と懐疑の淵(ふち)で揺れていたことも確かである。創造は信心のうちにもデモーニッシュな力を働きかけてくるからである。
ドストエフスキーを読まずして人間を、神を、文学を、芸術を語ることなかれ。「人間は謎です。この謎を解くために一生涯をかける」。これが17歳の時の作家の覚悟である。
私は『罪と罰』を50年間読み続け、批評し続けている。今も毎日、作品中の「ラザロの復活」の場面について思いを巡らしている。『聖書』と『歎異抄(たんにしょう)』と『罪と罰』を手放したことはない。屋根裏部屋の単独者、不信と懐疑の坩堝(るつぼ)で煩悶し続ける思弁家、この散策する憂鬱な思弁家ラスコーリニコフが、悪魔の誘惑に駆られて殺人を犯す。そこから彼の戦いと煩悶が生じる。思弁に生きるか、神への信仰へと至るか。作者はエピローグで、「思弁の代わりに命が到来した」と書いた。この言葉をどう受け止めるか。わたしの弁証法的思弁は延々と続く。
−−「今週の本棚・この3冊 思弁と信仰 清水正・選」、『毎日新聞』2016年1月31日(日)付。
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