覚え書:「今週の本棚・伊東光晴・評 『日本の食文化史 旧石器時代から現代まで』=石毛直道・著」、『毎日新聞』2016年2月14日(日)付。

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今週の本棚
伊東光晴・評 『日本の食文化史 旧石器時代から現代まで』=石毛直道・著

毎日新聞2016年2月14日

岩波書店・3456円)

歴史を遡り、視野を世界に広げる

 著者は文化人類学者で、「食の文化史」研究の第一人者である。その人が傘寿を前に、自らの研究のエッセンスを一冊の本に集めたのがこの本であり、本書に先だってフランス語版等が出ている。

 縄文時代、人々は何を食べていたのか。著者は探っていく。古墳研究から、ドングリ、トチやクリの実、クルミが主で、これに狩猟で取ったものと、海岸では魚介類が加わる。

 ドングリなどをつける広葉樹林帯は、日本列島の東北部に多く分布している。そこで縄文時代の人たちの大半が列島の東北に住んでおり、照葉樹林帯である列島の西南は人口希薄だったと推定される。青森の三内丸山遺跡である。

 岩塩のない日本では、藻塩(もしお)を焼いて塩分をとっていたほか、山椒(さんしょう)−−日本原産のスパイスで旨味(うまみ)をとっていた。

 ついで弥生時代になると、稲作が大陸から入ってくる。

 稲作の拡大は、今まで希薄であった西日本の人口を増加させた。紀元前後、六○万人と考えられていた日本の総人口が、二○○年間で約三倍になったものと思われると。これは明治以前で唯一の急増である。これによって西日本に中心が移り、中央集権国家が生まれていく。

 中国・長江下流からの稲作とともに、米から酒をつくる技術も伝わり、古墳からは大豆、ニワトリ、ブタもこの時代に入ってきたことがわかる。水田での淡水魚は塩辛となって保存されていたろうと。

 稲作は、飛鳥、奈良、平安時代と、王朝文化と官僚制で拡大し、そのもとで武士を生んでいく。華やかな王朝文化と質実な武士文化の二極化は食の上でも形づくられる。

 食の上で注目されるのは二つである。第一は、国家と仏教の結合によって肉食が禁じられたこと。これには神道のケガレ観も関係し、たびたびの肉食禁止令によって、日本人の体格にも影響してくる食の変化であり、第二は、乳利用の欠如である。

 乳をしぼり、乳製品を食べる文化は、モンゴルから中央・西アジア、インドからヨーロッパ、アフリカまで広大であると。その圏外にあったことは、宗教や考え方にも影響すると私は考えるが、食に限ると、日本人にとってのご馳走(ちそう)は魚、とくに新鮮な魚となってくる。

 この時代、中国からの影響は大きく、律令だけでなく、暦も中国のものが使われた。

 中国暦が使われるということは、それに従って、七草粥(がゆ)など、節句の日の食物というように、ハレとケの区分ができ、普段は質素でもハレの日は酒を飲み、華やかにという日本人特有の生活のリズムが生まれてくる。

 私が注目したいのは、この間、日本的箸の文化が定着していくことである。

 箸は中国、韓国でも使われている。だが日本とは形が違う。

 本書に書かれていることは次のことである。中国、韓国では、箸とスプーンで食事をするが、日本では、スプーンはすぐに使われなくなる。それにかわって日本では汁を飲むための碗(わん)が登場する。当然手に持つ。ご飯もである。

 他方韓国では、手に持つのは乞食の食べ方として蔑(さげす)まれる。逆に日本では手に持たないと行儀が悪いといわれる。

 スプーンを使わない日本では箸で豆でもつまめるように先が細くなっている。中国の箸が先が太いのと対照的である。

 中国も西欧も食器は比較的平らである。日本の食器は、多様な形をし、食卓の美を演出している。スプーンの有無がここにも関係してくると考えるのは私の言いすぎであろうか。

 王朝時代、食材は中国から入ってきても中華料理は入らなかった。このパターンは、次の時代−−南蛮人の渡来による「食の変動の時代」(室町時代から江戸初期)についても同じである。

 新大陸の作物、カボチャ、トウガラシ、インゲン豆、タバコなどが地球を回って入ってくる。サツマイモも南蛮人が関係しているのを、はじめて知った。平戸のイギリス東インド会社の商館長リチャード・コックスが平戸で畑につくったことで広まったというのである。ポルトガルその他の料理も、日本的に変容され、テンプラ、水炊き、カステラ等となっていくのは、よく知られている。

 この本を読むと、日本の食文化は二つの流れの中にあるように思える。第一は、海外のものをつぎつぎに取り入れ、変容していく、加藤周一氏の言う“雑種文化”であり、第二は、旨味として西欧や中国が、肉と油脂にたよっているのに、これらを欠いた日本は、当初発酵食品、ついでコンブ、カツオ節、シイタケから旨味成分をとり出し、室町時代本膳料理から会席料理、そして京料理と、自然の素材と季節感を盛りこんだ日本料理をつくっていく。

 明治以後は、読者もよく知るところで、日本にはあらゆる国の料理があるという正に雑種料理国になった。著者は博学で、歴史を遡(さかのぼ)り、視野を世界に広げる。どこを開いても興味つきない記述に出会う。
    −−「今週の本棚・伊東光晴・評 『日本の食文化史 旧石器時代から現代まで』=石毛直道・著」、『毎日新聞』2016年2月14日(日)付。

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