覚え書:「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 詩人・和合亮一さん」、『毎日新聞』2016年02月19日(金)付。

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特集ワイド
この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 詩人・和合亮一さん

毎日新聞2016年2月19日 東京夕刊

和合亮一さん=吉井理記撮影


この状況は何だろう 福島の子の感性が奪われていく恐怖

 <放射能が降っています。静かな夜です>

和合亮一さん、「未来の祀り」を語る>
 静謐(せいひつ)で美しく、絶望的でおぞましいこの句を和合亮一さんがツイッター上に記したのは2011年3月16日の夜である。妻子を山形に避難させて居残った福島市のアパートの、窓も扉も閉め切った部屋でひとり、詩人はただただ、原発から漂ってきているに違いない「空気」に恐怖していた。

 いや、あの時、日本中がメルトダウンを起こした東京電力福島第1原発事故の行方に恐れおののき、ミネラルウオーターが店頭から消え、繁華街は暗く、真剣に「もう原発はごめんだ」と叫んだのではなかったか。

 それからたった5年である。原発はあっさり再稼働した。街では華やかなイルミネーションの下で人々が笑いさざめき、エレベーターはするする動く。ニュースが伝えるのは株価の変動ばかり。あの震災で、今なお18万人が「難民」となっている国の、これが日常である。この5年間、高校で教壇に立つ傍ら、ツイッターなどで詩を発信し続けてきた詩人は、福島からどう見つめてきたのだろう。

 「不思議な感じです。東京に行くと、特にそう。何もなかったかのように震災前に戻ろうとしている。これは何だろう、と」

 福島市中心部のホテルの上層階。春一番が吹いたこの日、鉛色の空の下、遠く窓の向こうに雪化粧した山々がかすんで見える。和合さんはその方へ視線をさまよわせた。

 「今も全国あちこち、講演で訪れるんです。いろんな人が僕に言う。『福島、復興が進んできて本当に良かったですね』って。悪気はないんです。福島の現実が、もうあまりニュースにならないから、そう思うのも無理はない。でもニュースにならないことが問題解決を意味するのではありません」

 今も福島では県内5万5473人、県外4万3270人など計9万8763人が自宅や故郷を追われ、避難生活を送っているのだ。ストレスによる体調悪化や自殺などの「震災関連死」は昨年末、2007人を数えた。


除染作業で出た汚染土などの詰まった無数の黒い袋。最終的な処分方法は決まっていない=福島県富岡町で、本社ヘリから森田剛史撮影
 福島の地元新聞2紙は今もほぼ連日、原発関連ニュースを大きく扱っている。和合さんを訪ねた14日はともに1面トップ。東京で普段見る全国紙との違いに驚く。

 この落差。あれだけの傷を被ったのに、この国で、原発が再び動き出しつつある。詩人は「とげの刺さったまま、日常に戻りつつある」と表現した。

 「僕は教師として人の親として、いつも考えるんです。子供たちに『原発が爆発して十数万人もの人が苦しんでいるのに、どうして原発をやめないの』と問われたら、僕たち大人はどう答えるのでしょうか。普通に考えれば、あり得ないことですから」

 和合さんが子供向けに開く詩作教室で、「自分の宝物を写真に撮ってきて」と宿題を出したことがある。原発事故で避難生活を送るある中学生は、その年の正月に仮設住宅で書いた書き初めを写真に撮ってきた。

 掲げられた書き初めの傍らで、仮設住宅の自室の窓が開け放たれ、プレハブの仮設住宅がずらっと並んでいた。中学生は言った。「私の『宝物』の写真です。どうして窓を開けて撮ったかというと、この風景をみんなに見てほしかったからです。部屋から、仮設住宅が並んでいるのが見えるところを」

 「今も全村避難が続く飯舘村が象徴的ですよ。あちこちに汚染土が詰まった黒い袋が大量に積み上げられ、まるで城塞(じょうさい)のようです。あらゆるものが置き去りにされている。そういう姿、そうしている大人たちを、子供たちは見つめているんです。海外に原発を輸出する前に、子供にも大人にも分かる言葉で説明すべきではないですか。この状況は一体何なのか、と」

 原発を動かす一方で、環境省は昨年12月、生活圏外で人が日常的に立ち入らない森林は原則として除染をしない、との方針を打ち出した。地元自治体などが再考を求め、関係省庁での折衝が続く。

 「外で土や石ころに触れることすら、一部の福島の子供たちは親たちから禁じられてきたんですよ。自然と触れ合うのが子供にとって何より大切なのに、森林の除染をしない、ということは、子供たちと自然との交流を断ち切る、というつらい宣告になってしまいます」

 原発とはそういう存在である。にもかかわらず、電気代を安く抑え、企業の海外移転を防ぐため、あるいは燃料の輸入費を抑えて貿易赤字を減らすためと、大人たちは理由をつけて、再稼働を正当化しようとしてきた。その論理、子供たちにどう映るか。

 震災から1年後、毎日新聞に掲載された劇作家・平田オリザさんとの対談で、原発事故で「人間の心のありよう、感情の質が変わっていくんじゃないか、そんな恐ろしさがあるんです」と話していた。その予感、どうやら杞憂(きゆう)ではなかった。

 「物質的、経済的という問題ではなくて、人間の感性を育てるものが森林でもあり海や川なんです。そこを大人たちは本気で考え直していかないと。震災後、『せめてそこだけは』とでもいうべきところが、福島の子供たちからどんどん奪われているように感じています。これは大変な脅威ですよ」

「復興」がとげを覆い隠す

 繰り返し問わねばならない。なぜ、あれだけの傷を受けたのにもかかわらず、この国は「とげが刺さったまま」、何事もなかったかのように振る舞おうとするのか。

 「復興という言葉。僕は非常に恐ろしい言葉だと思うんですよね」。詩人はしばらく考えて、ぽつりと漏らした。

 「東北の復興なくして日本の復興はない」「福島は着実に復興に向かいつつある」などと、ポジティブで、前向きに使われる言葉である。だがこの言葉が、被災した人々のさまざまな実相や色彩を覆い隠し、全てをひとくくりにして片付けているように思える、というのだ。

 先日、被災して家族を失った人たちに手紙や詩を書いてもらうイベントに審査員として参加した。

 「たくさんの作品が集まったんですが、これまで震災や津波を話題にもせず、触れることすらなかった宮城県のある小学校の子供たちが、やっと『自分たちが育った海に行きたい』と言えるようになるまで回復した、という先生からの手紙があって。ああ、これだなあ、と」

 誰だって最後は暖かい光を求めたい。回復したい。でもそれは簡単なことではない。時間もかかる。

 「回復と再生、です。自分たちの時間で、荒野に草が芽吹くように、何かが自然に芽生えてくることこそ大切なんです。それを『さあ、復興しよう』とおしりをたたくようなことをしてはダメなんです」

 本当は福島には福島の時間の流れがあるのに、東京的とでも言おうか、画一的な時間軸と気ぜわしさの中で、住民に「復興」や「ポジティブさ」を無理強いしているような感覚がある。

 「同じように、原発事故も被災経験も、きちんと受容して鎮魂して、というプロセスが本当は必要なんですが、私たちはそれをしてこなかった。レクイエム(鎮魂歌)というものがほとんどないように、日本には現実を受容し、鎮魂する文化が乏しいのかもしれない。だから受け止めきれず、横に置いて、あるいは流して、スケジュールに追われるように前に進もうとする。さあ復興した、再稼働だ、次は東京五輪だ、と」

 5年となる今も、私たちは原発事故と震災を受け止めきれず、横に置いて、さらさらと流してきた、ということなのか。

 和合さんの近作に、こんな詩がある。

 <今 新幹線に乗っています 日本中の みなさんに 言いたいのです 私たちの この列車 どこに 向かっていますか 加速する夜 あなたは どんなことを あきらめていますか あきらめていませんか 途中下車せよ>

 詩人と別れ、東京行きの新幹線に乗った。空は、相変わらず鉛色である。

 時間はかかる。それでも新幹線を一度降りて、原発事故と震災の実相と、そして「どうして原発をやめないの」という子供の問いを受け止めることから始めよう、と思った。さらさらと流されず、どこに向かっているかを見定めるために。【吉井理記】

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 あの日から5年。この国の何が変わり、何が置き去りにされたかを考える。=随時掲載

 ■人物略歴

わごう・りょういち

 1968年、福島市生まれ。福島大卒。福島県立高の国語教師を務めながら詩作を続ける。中原中也賞など受賞多数。詩集のほか「ふるさとをあきらめない」「心に湯気をたてて」「詩の寺子屋」など著書も多い。=吉井理記撮影
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