覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『江戸詩人評伝集 全2巻』=今関天彭・著、揖斐高・編」、『毎日新聞』2016年02月14日(日)付。

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今週の本棚
三浦雅士・評 『江戸詩人評伝集 全2巻』=今関天彭・著、揖斐高・編

毎日新聞2016年2月14日 東京朝刊
 
 (東洋文庫・各3456円)

詩観の新旧、詩人像さらに明確に

 新井白石から森春濤(しゅんとう)まで江戸時代の漢詩人二十四人の評伝。読みやすく面白い。詩も興味深いが、人間関係が見事に活写されている。時代の推移もまた実感される。

 著者の今関天彭(いまぜきてんぽう)は一八八二(明治十五)年に生まれ一九七〇年に亡くなった漢詩人。長期間、北京に滞在し、後には南京駐在の日本大使・重光葵(しげみつまもる)の、また汪兆銘(おうちょうめい)の国民政府の顧問にもなっている。ただの詩人ではない。漢詩人の伝統というべきか、政治に関与することが少なからずあったわけである。敗戦後の一九五一年、個人詩誌『雅友』を刊行、七十六号まで日本の漢詩漢詩人についての論考を掲載した。その一部が整理編集されて本書になった。単行本としては今回初めて日の目を見ることになったわけであり貴重である。

 編者の揖斐高(いびたかし)は『遊人の抒情(じょじょう)−−柏木如亭(じょてい)』や『江戸の文人サロン』などの著書で知られる。揖斐の情熱がなければ、半世紀を遡(さかのぼ)るこの雑誌論文はまとめられることも刊行されることもなかっただろう。感謝の念は、揖斐の文学観が天彭のそれとは大きく異なることを知ればいっそう強まる。天彭は、白石、室鳩巣(むろきゅうそう)、柴野栗山(りつざん)、頼春水、尾藤二洲、古賀精里、頼杏坪(きょうへい)ら、「経世済民の志を失わない儒者」の詩に好意的であり、六如上人(りくにょしょうにん)、市河寛斎、柏木如亭、大窪詩仏、菊池五山ら江戸後期の市民文化に根差すいわゆる「清新派」の詩人たちの詩には否定的だが、揖斐の見方は逆である。

 揖斐はむしろ「清新派」を評価する。揖斐の先達とも言うべき富士川英郎の『江戸後期の詩人たち』もそうだ。あえていえば、天彭の詩観は古く、富士川、揖斐の詩観は新しい。にもかかわらず揖斐が刊行に力を注いだのは、資料としての貴重さはおいて、逆方向からの照明によって詩人像がさらに明確になると考えたからだろう。天彭自身、一時代を体現する歴史的存在である。その見方そのものが歴史に属している。

 経世済民を重視する天彭の眼から見ると、白石が鳩巣に施した好意に鳩巣が誠実には報いていないこと、寛政の三博士と称された栗山、二洲、精里三人の個性がまったく違うことなどがよく分かる。これらの儒者に対する徳川吉宗松平定信徳川家斉(いえなり)といった人々の役割もよく分かる。さらには、寛政異学の禁が、朝鮮通信使として来朝した「朱子学に通じた南秋月」の影響少なからぬものがあること、光格天皇の生父をめぐる尊号事件もまた寛政の三博士らの進言によって裁定されたことなどもよく分かるのである。

 天彭の舌鋒(ぜっぽう)は鋭い。「伊藤仁斎が現はれて我説を主張し、従来の学説を排斥して傲岸不遜を極めたが、仁斎はまだ恕(ゆる)すべしとして、荻生徂徠(そらい)に至つては、宋学を奉ずるものを迂腐(うふ)と罵り、敢(あえ)て無稽(むけい)の大言をして天下を禍(わざわ)ひした」とまで言う。全編を通じる不在の主人公二人、それは徂徠と頼山陽である。人柄は認めないが、大儒であり詩豪であることは認める。項目はないが頻繁に言及され、個性もまた際立って見えてくる。

 天彭の視点からは、しかし清新派・如亭の詩魂の後に朔太郎や中也の近代詩が続くといった展望は開けてこないだろう。本書後半は、梁川星巌(せいがん)、広瀬旭荘(きょくそう)、遠山雲如(うんじょ)、小野湖山、大沼枕山(ちんざん)、森春濤の六人で占められるが、天彭の限界は明治漢詩人一般の限界であったと思えてくる。とはいえ、代官として見事な手腕を見せ領民に慕われた杏坪の姿などじつに生き生きと描かれ、詩ともども強く印象に残る。天彭の人柄の好(よ)さが滲(にじ)み出ているのだ。揖斐の解説がいい。全編熟読に値する。
    −−「今週の本棚:三浦雅士・評 『江戸詩人評伝集 全2巻』=今関天彭・著、揖斐高・編」、『毎日新聞』2016年02月14日(日)付。

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