覚え書:「京都・読書之森 米軍医が見た占領下京都の600日 /京都」、『毎日新聞』2016年02月14日(日)付(京都版)。

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京都・読書之森
米軍医が見た占領下京都の600日 /京都

毎日新聞2016年2月14日 地方版
  (二至村菁・著 藤原書店、3600円(税別))

 1945年8月、日本は連合国に降伏し、やがて連合国軍総司令部(GHQ)の支配下に置かれた。1000年の都・京都も例外でなく、府庁の一角が明け渡され、京都軍政部が置かれた。

 その2年後の47年秋、インターンを終えたばかりの25歳の青年軍医が軍政部公衆衛生課長として赴任した。迎え入れた府衛生部とは建前では対等だが、実質は絶大な権力を持っていた。日本人職員は原爆を落とした米国には嫌悪感を抱きながらも、「陽気で、すなおで、おおらかで、アメリカの民主主義というものを身にもってましたね」という青年医師の人柄にやがて好意を持っていく。そのジョン・D・グリスマン医師と、占領下京都の人びととの約600日にわたる交流を、同書は多くの証言やエピソードを交え生き生きと描き出している。

 当時の一日の食糧配給は米355グラム、魚の加工食品が25グラム、みそ8グラム、わずかな野菜といった具合で、みんなが飢えていた。府内の「行き倒れ」死者は戦後14カ月で620人と記録され、ほとんどが衰弱死だったという。

 療養所の結核患者も栄養不足でけだるくやせていた。一方で軍政部の兵舎では「3日たってちょっと堅くなったパン。太平洋をわたってくるあいだに一部が変色した100ポンド(45キロ)の冷凍牛肉。いくつかが腐っただけのじゃがいもの50ポンド(23キロ)袋」などが使用不適として毎日焼却されていたが、「食糧不足は日本政府の責任」と結核患者に回すことは許されなかった。グリスマン医師は京大病院の結核病棟に上官を連れて行き、やせ細った重症患者を見せ、上官から許可を得る。その結果、結核患者の摂取カロリーは1日1000キロカロリー増えた。

 またハンセン病への偏見と闘いながら外来診療を続けていた京大病院の医師らに共感、開業医である父に特効薬のプロミンを送ってもらうなどの支援を行った。「ハンセン病はきわめてうつりにくい伝染病で、結核のほうがずっとおそろしいのだと知らせたい。そしてできれば、この国の99・9%のひとがいだく迷妄や恐怖、根深い嫌悪感をとりのぞきたいのです」。グリスマン医師は父への手紙で、青年らしい使命感をのぞかせている。

 このほか死者3769人を出した48年6月の福井大地震に救援に向かった体験。密輸船から押収され、廃棄されるはずだった20万ドル相当のストレプトマイシンを、犯罪捜査部の友人との連携プレーで入手し、京都に届けさせたこと。「日本女性との親和交際禁止」のマッカーサー命令に反したとして逮捕されそうになったことなど、興味深いエピソードも盛りだくさん。

 著者は47年に京都に生まれ、父親は医学者だった。自分が乳児だったころのことを知りたくてグリスマン医師のことを調べた。2000年2月にラスベガスで引退生活を送る医師を訪ねた。そこで整然と整理された100枚以上のスライド写真を見せられた。当時貴重だったカラーフィルム。おずおずと「複写させてほしい」と切り出すと、「1円で君に全権を売り渡そう」。「1円でも受けわたせば契約で、将来わたしが気がかわったから返せ、とは言えないからだよ」と笑った。

 その鮮やかな写真が同書を飾っている。【榊原雅晴】
    −−「京都・読書之森 米軍医が見た占領下京都の600日 /京都」、『毎日新聞』2016年02月14日(日)付(京都版)。

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米軍医が見た占領下京都の600日
二至村 菁
藤原書店
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