覚え書:「<記者の目>東日本大震災5年 『浜人』たちの暮らし=鬼山親芳(三陸支援支局宮古駐在)」、『毎日新聞』2016年03月10日(木)付。

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<記者の目>東日本大震災5年 「浜人」たちの暮らし=鬼山親芳(三陸支援支局宮古駐在)

2016年3月10日

(写真キャプション)海抜10・4メートルの高さの防潮堤。1・6キロにわたり築かれる=岩手県宮古市鍬ケ崎地区で2日、鬼山親芳撮影

心の再生、道筋つかず

 東日本大震災から5年。被災地、岩手県宮古市を拠点に、3日に1回は浜に出向く「浜歩き記者」として浜の再生を見守ってきた。津波で破壊された漁港が復旧し、失った船も漁師にほぼ行き渡ったが、浜に元気がない。

 防災を大義名分に、防潮堤など巨大なコンクリート構造物の建設が先行する。地元の古老から「浜人(はんもうど)」とも呼ばれる漁師たちの暮らしや心の再生が後回しになっており、「復興している」とは言えない。

 宮古市田老(たろう)地区。昭和三陸津波(1933年)を契機に築かれ「万里の長城」とも呼ばれた防潮堤を5年前、津波が乗り越えた。家々をのみ込み、ここだけで181人が犠牲となった。浜人の作業場がぽつぽつと建つその防潮堤脇に今月、野球場が完成する。

 「自宅や暮らしを再建できない人がまだ大勢いるのに……。こんな施設は後回しにすべきだった」。元浜人の男性(76)が「被災者の気持ちを逆なでする」と言わんばかりに嘆いた。以前あった場所から移して再建した格好だが、ファウルボールを防ぐ一塁側ネットが国道45号の脇に高々と張られ、違和感を覚える。

巨大防潮堤建設 地元反応分かれ

 漁業で栄えた鍬ケ崎(くわがさき)地区では、50人以上が犠牲となった。そこに海抜10・4メートルの高さの防潮堤が姿を現した。浜沿いに1・6キロ、90億円をかけて建設される。海が見えるようにと、壁にアクリル製の小さな窓(縦130センチ、横50センチ)が取り付けられる予定だ。「早く造ってもらわないと、安心して家を再建できない」。地元では早期完成を望む住民がいる一方、浜人からは「出漁を判断する日和見ができなくなる」という声が相次ぐ。県が進める工事は「地中の支持基盤がくいより深かった」という理由で中断するなど、遅れている。

 宮古の南、山田町の漁師(72)は「防潮堤がなかったら妻(当時67歳)は助かった。防潮堤は要らない」と言い切る。あの日、船を沖に避難させようと岸壁に走ったが、整備中で動かせず家に逃げ帰った。妻は心配して夫の後を追ったと思われ、津波にさらわれた。「防潮堤がなかったら押し寄せる津波が見えたはずだ」という。44年も連れ添った妻を亡くし、生きる希望を失った。漁に恵まれた日は共に喜び、漁がない時には愚痴を聞いてくれた。今は酒を飲んでもおいしくない。家族を失い、いまだに悲嘆に暮れる浜人はほかに何人もいる。

 「『3・11(サンテンイチイチ)』。昆(こん)さんたち、遺族、被災者への想像力にこれだけ欠ける物言いはない。通り一遍の見聞だけで訳知り立てに話す人間のなんと多いことか。震災はまだ現実だし、符号化してはならない」。私は震災の年の12月20日本紙岩手面のコラム「記者ノート」で、「忘れられない人たち」という見出しでこう書いた。

 昆さんとは敬愛していた釜石市の反骨の郷土史家、昆勇郎(ゆうろう)さん。奥さんとともに亡くなった。少なくとも家族を亡くした人たちからは当時も今も、サンテンイチイチなどという物言いは聞いたことがない。しかし、今はどうだろう。ボランティアや行政、マスコミも口にする。震災の風化がよく言われるが、想像力は歳月とともに縮むらしい。

 宮古港の磯に祭られていた竜神さまは社ごと津波で流され、いまだに再建の動きはない。古くから大漁、操業安全の神様として浜人らの信仰を集め、心のよりどころでもあったのに震災後、祭りは一度も開かれていない。仮設住宅で暮らす祭りの関係者は「心に余裕がない。祭りどころではない」と話した。

廃業や生産減、人離れ止まらず

 一方、昨年から今年にかけ、県内ではサケやサンマ、スルメイカの主要魚種がそろって不漁だったうえ、漁師の廃業も相次いだ。さらに、生産量全国一を誇る養殖ワカメも震災前より大きく落ち込み、回復する兆しが見えない。

 田老地区も、ワカメの養殖が盛んだ。田老町漁協の湯通し塩蔵(えんぞう)「真崎わかめ」は、風味や食感の良さから全国にファンがいる。そのワカメが震災で販路を大きく失ったうえ、福島県東京電力福島第1原発事故の風評被害を受け、年間9億円強を誇った売り上げは震災後、4億円にまで減少した。収穫量も25%落ち込んだ。約100人いた生産者が津波で亡くなったり、高齢で廃業したりして約70人に減ったのが影響した。

 津波で全壊した1次、2次加工場は国の補助金で再建された。しかし、かつては収穫期に40人が季節雇用で働いていた1次加工場は、今は20人程度。2次加工場も95人ほどいたのが約60人にとどまる。人口流出も要因とみられ、なりわいの復活も遠い。浜人たちの再生は遠い。復興への営みは今年も続く。
    −−「<記者の目>東日本大震災5年 『浜人』たちの暮らし=鬼山親芳(三陸支援支局宮古駐在)」、『毎日新聞』2016年03月10日(木)付。

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Listening:<記者の目>東日本大震災5年 「浜人」たちの暮らし=鬼山親芳(三陸支援支局宮古駐在) - 毎日新聞


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