日記:本質は中立中二病と原理主義自慢。ここに共通するのはある意味では「言うだけ番長」という現代日本病理

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アベ政治憲法を無視した法治ならぬ認知・・・もとい人治政治に関して、「憲法守れ」「立憲主義を守れ」といった批判が澎湃と沸き起こっている。しかもその「いかがなものか」という声は、思想信条の違いを超えた異議申し立てとなっている。

様々なことがらに関しては「意見」は千差万別あると思う。しかし「意見」を戦わせる土俵が恣意的にずらされ、都合のいいように変容されているからこそ、声としては「憲法守れ」「立憲主義を守れ」という表現ではあるものの、思想信条の違いを超えた異議申し立てになっているのではないだろうか。メディアが沈黙し、アカデミズムが抑圧され、異議申し立ての声が封じ込められるからこそ、人々が自律的に立ち上がっているのが現在といってよい。

さて、こうした声があがると当然、それを否定しようと躍起になって来る人たちが出てくる。もちろん批判の対象となるアベ政治の「側」の人間が第一であることはいうまでもないが、世間では「智者」と目される人から、細かい消息について当てこすりが湧き出してくるから、これは本当に頭を抱えてしまう、というか、ストレートに言ってしまえば、「頭が悪すぎて」泣きそうになってしまう。

例えば、日本国憲法の9条に関しては様々な議論があるとは思う。自衛隊をどうするのかをめぐる議論もそうだし、これは9条だけに限定されるものではない。

しかし、政権の強引さには眼を瞑りながら、「立憲主義を守れ」という批判には、自衛隊違憲論の位置づけがスルーされているではないか、という原理主義自慢(そしてその逆もわずかながら含む)も湧いていくる。自衛隊違憲論は憲法に関して言えば一つの原理主義といってよいと思うが(その賛否は横においても)、自衛隊違憲か合憲かという議論をする土俵が壊されている「現在」において、政権の強引さをスルーして、「俺は自衛隊違憲論で原理主義だが、現在の政権批判は議論が精緻でなく甘っちょろい」などと「あてこすり」をして一体何がしたいのだろうか。

原理主義自慢するなら、立憲主義を守れをくさすよりも第一にアベ政治を批判しなければならないのではないか。

本質は中立中二病原理主義自慢。ここに共通するのはある意味では「言うだけ番長」という話。ヘイトスピーチを「解説」して「表現の自由」を守るためには規制に慎重論・論者で「解説」はするものの、擁護に立ち上がる人間など見たことがない。「解説」は了解したとしてもですけどね。ごちそうさま。



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