覚え書:「今週の本棚 湯川豊・評 『怪しいものたちの中世』=本郷恵子・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚
湯川豊・評 『怪しいものたちの中世』=本郷恵子・著

毎日新聞2016年4月3日 東京朝刊
  (角川選書・1728円)

日本人とは何かまで考えさせる力
 第一章「中世の博打(ばくち)」が始まるとすぐに、こんなエピソードが語られる。藤原定家の日記『明月記』に出てくる話だ。

 伊予国に天竺冠者(てんじくかじゃ)と名のる狂者がいた。この男がとらえられ、神泉苑に引き出されて、後鳥羽院がご覧になった。さまざまに問うて、その神通力の無さがばれてしまった云々(うんぬん)。

 同じ天竺冠者のことを、『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』はもう少し詳しく書いている。男は空を飛び、水の上を走るという噂(うわさ)があり、また自分は親王である、と称していた。それが全部偽りであることがばれたのだが、この男は元博打うちで、仲間の博打うち八十余名が協力し、霊験あらたかなることを触れまわったのだ、とあった。

 ここで注目すべきことが二点ある。一つは博打うちの共謀による詐欺事件で、全国的に散らばる怪しげな組織めいたものがあったこと。もう一つは、男が親王であるといったこと。後者は、院政がしかれて、天皇上皇のご落胤(らくいん)問題がこうした詐欺のもとになっている点、より重要といえる。

 中世に特有の院政という宮廷のわかりにくさが、自(おの)ずと怪しいものを生みだす。正統がくずれて、怪異が現れるという図であろう。

 特別に興味深かったのは、第二章「夢みる人々」であった。

 一族という共同体が「吉夢」を見て、それを頼りに結束を固め、世をわたってゆく。中世の特徴と本郷氏は捉え、その典型として、高名な九条兼実(くじょうかねざね)を挙げている。兼実には『玉葉(ぎょくよう)』と称される日記があり、共同体の夢の記録が生々しく書かれている。

 藤原道長から下ってその地位を受け継いだ忠通がいるが、その三人の子が、近衛家の基実(もとざね)、松殿家の基房(もとふさ)、そして九条家の兼実と三家に分かれた。基実が死亡し、基房が解任された後も、兼実に摂政の地位がまわってこない。生マジメ、篤実の兼実は悶々(もんもん)の日を過ごしながら、妻、嗣子、家司(けいし)にいたる一族の吉夢(摂政になることを暗示する夢)を克明に綴(つづ)ってその日を待つのである。

 もっとも、日記には自分を差し置いて摂政になった、基通(基実の息子)と後白河院の「艶なる関係」なども詳しく書かれている、とのことだが。最後は鎌倉の頼朝の圧力で後白河院の恣意(しい)にとどめがさされ、兼実は摂政氏長者(うじのちょうじゃ)になる。兼実も怪しいものの一人なのかもしれないが、それ以上に院政システムのなかで権力を発揮しつづけた白河院後白河院はまさに超絶した存在だったのである。

 この院政の政治を行う舞台が、法勝(ほっしょう)寺をはじめとする六勝寺であった、と本郷氏は話を移してゆく。

 とりわけ法勝寺。白河院にとっては「自らの住居の中に設けた巨大な持仏堂」のようなもので、ここで行う人事(たとえば受領(ずりょう)の任命)などで、政治力を存分にたくわえた。そしてその一方で、寺を管理・運営する執行(しぎょう)なる僧がいて、これがまた経済を背景に大きな権力をもっていた。

 後白河院の寵愛(ちょうあい)を受け、平氏への陰謀がばれて喜界島(きかいがしま)に流された俊寛(しゅんかん)。頼朝の信頼厚く、しかし後鳥羽院と結託して承久の乱を起こした尊長。この二人が法勝寺執行の代表格で、二人の死に方は凄絶(せいぜつ)である。

 東大史料編纂(へんさん)所教授である著者の、エピソード中心の歴史の語り方がみごと。挿話の一つ一つが、じつは歴史の底流の顕現である、という深い想像力に裏打ちされている。中世とは何かを問いながら、日本人とは何かということまでを考えさせる力がある本だ。
    −−「今週の本棚 湯川豊・評 『怪しいものたちの中世』=本郷恵子・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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