覚え書:「今週の本棚 山崎正和・評 『チェーホフ−七分の絶望と三分の希望』=沼野充義・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚
山崎正和・評 『チェーホフ−七分の絶望と三分の希望』=沼野充義・著

毎日新聞2016年4月3日 東京朝刊
  (講談社・2700円)

七分の共感と三分の憐憫の作家
 本書の主題はチェーホフ、副題は「七分の絶望と三分の希望」である。だが読み進むと浮かび上がる作家の姿は、「七分の共感と三分の憐憫(れんびん)」の人だったように見えてくる。愛と同情に溢(あふ)れながら、知性のゆえにか微(かす)かな憫笑を抑えられなかった作家である。

 習作時代のチェーホフは短編を書いて、新聞の娯楽小説欄に発表していたが、その秀作の一つ「ワーニカ」は、すでに哀れな対象への両義的な感情を明確に表している。田舎育ちの孤児が都会に奉公に出され、虐待の限りを受けて故郷の祖父あてに窮状を訴え、助けを求める手紙を書く。みずからも幼年期に児童虐待を体験していた作家の目は温かく、惨状を子細に描きだして、満腔(まんこう)の同情を隠そうとしない。

 だが書簡体の小説は一方で孤児の幼稚な文章を露骨に示したうえ、滑稽(こっけい)な無知をあえて人目に曝(さら)そうとする。孤児は宛名となる祖父の姓も住所も記すことを知らず、祖父は文字が読めない可能性が高いのに、手紙を投函(とうかん)すると安心して幸せな眠りに就くのである。

 同じアンビヴァレンス(反対感情両立)はまた、チェーホフの女性にたいする態度にも現れている。中編小説「かわいい」は初期の成功作だが、主人公の多情な女性は極端といえるまでにかわいくありすぎる。芝居の興行主と結婚すると演劇に夢中になり、材木商と再婚すると夢を見るほど木材が好きになり、その死後に軍の獣医と結ばれると、晩年には獣医の息子に自宅を譲って生涯を閉じることになる。沼野氏によれば「おばか」と「聖女」を一身に兼ねた女性だが、小説はその両面をまさに均等に活写して憚(はばか)らないのである。

 トルストイは人生を肯定的に描き、ドストエフスキーは否定的に描いたが、チェーホフは言葉の厳密な意味においてありのままに捉えた。凡百の写実作家のように価値観を密輸入したりせず、文字通り人生を見えるがままに見せたのがこの天才だった。ありのままに人生を見れば、それが悲劇であるとともに滑稽であるのは当然ではないか。しかも日本の私小説家とは違って、この作家は当時のあらゆる社会問題から目をそらさなかった。

 沼野氏の博学と博捜をもって可能になったことだが、この本は一九世紀末以来のロシア全体の社会文化史になっている。農奴解放、児童虐待、女性の教育と社会進出、革命の萌芽(ほうが)、ユダヤ人問題、邪教の流行、流刑地の拡大など、すべて人名と日時をそえた具体的な事件とともに紹介されて、読者は近代ロシア史の基礎を教えられる。たとえば「かわいい」と「魂」という二つの言葉が、ロシア精神を理解するキーワードであることを学ぶのである。

 だが同時に強く印象づけられるのは、それを見据えるチェーホフの静謐(せいひつ)な視線である。ユダヤ問題を扱っても、精神病棟の恐怖を描いても、新時代の女性を登場させても、作者の態度には告発や賛美の色は見られない。むしろ問題をひとひねりしたり、あえて裏側から眺める姿勢がめだつ。これは一般に極端を好み、「最大限主義」と呼ばれるロシア文学の風潮のなかでとくに顕著なのである。

 先輩の大長編作家たちとは対照的に、彼は短編と中編しか書かず、やがて劇作家として世界的な声望を得るわけだが、この評伝を読むとそれも自然だと思わせられる。あの激動期にどんなイデオロギーにも傾かず、人生をあるがままに見るのは長く続けられる仕事ではないからである。そして一つだけ私見を述べることを許して頂けるなら、演劇には小説にはない独特の仕掛けがあって、彼の危うい綱渡りを助けてくれたからだろう。

 演劇には舞台というものがあって、物語はその上で直接に見える場面と、舞台裏で起こってせりふで伝えられる伝聞に分けられる。じつはチェーホフは恐るべきメロドラマ作家であって、どの戯曲にも熱愛、失恋、不倫、挫折、破産、自殺、決闘を装った自殺などが目白押しに現れる。だがそれらはすべて舞台裏で発生し、舞台上は機知と倦怠(けんたい)の漂う優雅なせりふが満たしている。「すだれ越しのメロドラマ」と呼びたくなる構造だが、これがチェーホフ劇の真骨頂なのである。

 こういうものの見方をする人には照れ性が多いが、沼野氏が発見するチェーホフ像はそのことを裏づけている。実人生の女性関係においても彼は多くの愛に恵まれながら、自分自身はつねに韜晦(とうかい)と諧謔(かいぎゃく)に身を隠している。生涯を不治の結核に悩んだにもかかわらず、その苦痛を他人には稀(まれ)にしか訴えなかった。そしてこの照れ性が一つの文学的な主張であり、自国の最大限主義にたいする抗議だったことは、彼が先輩トルストイの絶賛を軽く受け流し、戯曲「かもめ」の感傷的な演出に苛立(いらだ)ちを表明したことにも現れている。

 偉大な天才の照れ性には、天も加担するのかもしれない。死の床で彼は妻に最期の一言を呟(つぶや)いたが、それは「私は死ぬ」というドイツ語にも聞こえ、「こんちくしょう」というロシア語にも聞こえる言葉だったという。
    −−「今週の本棚 山崎正和・評 『チェーホフ−七分の絶望と三分の希望』=沼野充義・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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