覚え書:「今週の本棚 張競・評 『『論語』と孔子の生涯』=影山輝國・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚
張競・評 『『論語』と孔子の生涯』=影山輝國・著

毎日新聞2016年4月3日 東京朝刊
  (中公叢書・2052円)

古典の魅力とその受容史を巧みに語る
 孔子の娘婿は公冶長(こうやちょう)と言い、七十人の弟子の一人だ。娘の結婚について『論語』にはやや不可解な記述がある。孔子は、公冶長は牢獄(ろうごく)につながれたことがあったが、彼の罪ではなかったと言って、娘を嫁がせた、とある。しかし、公冶長はなぜ捕まったのかはずっと謎であった。

 六朝の梁(五〇二−五五七)の時代に皇侃(おうがん)という学者が『論語義疏(ぎそ)』という注釈本を著したが、中国ではすでに散逸した。ところが、その本は遅くとも九世紀末には日本に伝わり、大切に保存されている。多くの写本が作られ、研究も重ねられてきた。寛延三(一七五〇)年に木版で印刷されたものは、清国の汪鵬(おうほう)という商人が購入して持ち帰ったところ、大陸の学者たちをあっと驚かせた。公冶長をめぐる謎もその本にはちゃんと解かれている。皇侃は『論釈(ろんしゃく)』という雑書を根拠に、公冶長が鳥の言葉を理解できることが災いしたという。

 それは衛の国から魯の国へ帰る途中のことである。公冶長は鳥たちが「清渓に行って、死人の肉をついばもう」と鳴き交わしているのを耳にした。しばらく歩くと、行方不明になった息子を探す老婆に出会った。公冶長は鳥たちの会話を思い出し、老婆に告げると、果たして息子の遺体が見つかった。村役人は犯人にしか知りえない事実を知ったとして公冶長の身柄を拘束した。

 入獄して六十日目、雀が牢屋の柵に止まってチュンチュンと鳴いた。それを聞くと、公冶長は何か合点したように微笑(ほほえ)んだ。わけを聞くと、鳥たちは食料を運ぶ車がひっくり返ったから、ついばみに行こうと言っている、と話した。役人たちが半信半疑で確かめに行くと、またもや的中した。そこで、公冶長の潔白が証明され、自由の身になった。

 そんな突拍子もない逸話まで集めた『論語義疏』だが、六朝の解釈が完全な形で残っており、皇侃の時代までに蓄積された『論語』注釈の宝庫でもある。日本では千年を超える歴史のなかで、間断なく読み継がれ、大陸と違った『論語』の受容にも影響を及ぼしている。しかし、近代に入ってから忘れ去られ、専門家を除いてほとんど知られていない。本書によって、その全貌と流布する歴史がようやく明らかになった。

 寛平三(八九一)年、もしくはそれ以前に撰述(せんじゅつ)された『日本国見在書目録(にほんこくげんざいしょもくろく)』に著録されるものの、日本に現存する『論語義疏』の三十六本の写本はほとんど室町時代のものである。ただ、天平十(七三八)年ころ撰述された『古記(こき)』に章句の引用があったから、日本への伝来はもう少しさかのぼるかもしれない。清の乾隆帝の時代に里帰りしてからは『四庫全書』など大型叢書(そうしょ)に入れられ、さらに明治十三(一八八〇)年に来日した外交官の楊守敬(ようしゅけい)が日本で入手した写本は現在台湾の故宮博物院に所蔵されている。一冊の書物がたどった道は日中文化交流の歴史そのものでもあった。

 書名からもうかがえるように、本書の眼目は論語の受容史を明らかにし、孔子の生涯を通して、その学説の真意を探るところにある。『論語義疏』の話はその一例に過ぎない。漢籍を扱っていることもあって、この種の書物は通常、難解なものが多い。本書は要点を押さえながら、予備知識のない読者にも理解できるように、わかりやすく書かれている。

 著者は漢学の専門家で、『論語』の解釈史についての造詣が深い。本書でもその博覧強記ぶりが存分に発揮されており、古典の魅力は自家薬籠(やくろう)中のように語られている。各章末に配されたコラムはこれまた無類に面白く、その博識と巧みな話術には舌を巻くばかりである。
    −−「今週の本棚 張競・評 『『論語』と孔子の生涯』=影山輝國・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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