日記:端的に言えば、安倍政権倒閣で未来は明るくなるなどとは思ってはない。それでも今、可視化された権力と戦わずしてどうするの?

Resize1644


        • -

憲法を考える:自民改憲草案・自由:中 「ほどほど」では、自由でない
2016年5月20日


 「ほどほどの自由」

 自民党憲法改正草案の「自由」に対するスタンスを追うと、そんな印象を持つ。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」だと明記した現行憲法97条は、削除。表現の自由を定めた21条には「公益」や「公の秩序」を害することを目的にしてはならないとの文言が追加され、「自由」は念入りに制限を掛けられる。

 だが、「ほどほどの自由」しか許されない社会とは、どんなものなのだろう? 今年1〜3月、TBS系列で放送されたテレビドラマが、ひとつの答えを与えてくれる。

 「わたしを離さないで」

 原作は英国の作家カズオ・イシグロの長編小説。他人に臓器を提供する目的で作られた「クローン人間」が主人公だ。

 人為的に作られたということ以外「普通」の人間とほぼ変わらない主人公たちは幼少期から「あなたたちは臓器提供の使命を持った天使だ」と教え込まれる。クローン同士の恋愛や、生活の自由はあるが、臓器提供の拒否は決して許されない。

 ドラマでは原作にない独自の設定として、そんな「ほどほどの自由」を疑う少女「真実(まなみ)」が登場する。真実は仲間とひそかにクローンの権利を訴える活動を計画する一方、周囲に順応しがちな主人公に、私たちの人権は侵されている、と伝えようとする。「誰にだって幸せを追求する権利があるのよ」。紙切れに記されたのは現行憲法13条。

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 美しいはずの「他者」や「公」への奉仕が個人の身体や心を侵食していく不気味さ――。

 自民党伊吹文明衆院議長が4月、講演でこんな発言をしていたことを思い出した。

 「皆が公のことを考える強靱(きょうじん)な日本人をつくらなければならない」

 今の日本社会を「パチンコ屋の前で良い台を取ろうとして、開店を待っていてもなんとか食べていける国」と嘆く伊吹氏。憲法に直接関係する発言ではないが、自民党議員からは幾度となく、個人が自分のことばかりを主張し、公の秩序が乱れているのではないかという危機感が表明されている。

 憲法学者の山元一・慶大教授は言う。「公の秩序と個人の自由を対立させ、『公』に『自由』を服属させた途端、権利としての自由の価値は根幹から破壊される。もはやそれは、自由とは言えません」

 ドラマの第6話。真実らの権利活動は警察の知るところとなる。追いつめられた真実は街頭で手首を切り、自分は天使などではなく人間だ、と訴える。自分の心も身体も、自分のもの。それが許されないなら「どうか何も考えないように作って」。

 「ほどほどの自由」は、自由ではない。自ら命を絶った真実の姿が、その「真実」を私たちに突きつけてくる。

 (高久潤)
    −−「憲法を考える:自民改憲草案・自由:中 「ほどほど」では、自由でない」、『朝日新聞』2016年05月20日(金)付。

        • -

http://www.asahi.com/articles/DA3S12366312.html


Resize1178