覚え書:「特集ワイド:姜尚中さんが語る漱石」、『毎日新聞』2016年04月06日(水)付夕刊。

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特集ワイド
姜尚中さんが語る漱石

毎日新聞2016年4月6日 東京夕刊
 
「在日2世という出自もあって深い孤独に悩んだ思春期に、漱石の言葉は私の“メンター(導き手)”でした」と語る姜さん=東京都千代田区で、内藤絵美撮影

 今年は作家、夏目漱石の「没後100年」に当たる。若き日より漱石をこよなく愛してきた政治学者の姜尚中(カンサンジュン)さん(65)は「今こそ漱石を読むべき時代がやってきた」と語る。1世紀の時を超え、漱石の言葉は私たちに何を教えてくれるのか。そして今、姜さんはなぜ漱石の言葉に向き合おうとするのだろう。【小国綾子】

 「漱石は日本で最初に近代日本の“憑(つ)きもの”が落ちた知識人だと思うのです」。新著「漱石のことば」(集英社)を出版した姜さん、開口一番、明快にこう言った。

 憑きもの?

 こちらが戸惑っていると、姜さんは漱石の代表作「三四郎」の一場面を挙げた。

 東京帝大に合格した主人公・三四郎が熊本から上京する汽車の中で教師の広田先生に出会うシーン。時は明治40年ごろ。日露戦争に勝利し「ようやく日本も一等国入りしたぞ」と沸き立つムードの中で、三四郎が「これからは日本も段々発展するでしょう」と言ったのに対し、広田先生はこう言い放つ。「亡(ほろ)びるね」

 三四郎は「日本人じゃないような人」に出会った気がして仰天。広田先生はさらに「囚(とら)われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ」と説くのだ。

 姜さんは語る。「広田先生は漱石の分身的な人物です。あの場面で『囚われちゃ駄目』といったのは若い三四郎に“憑きもの”に囚われるな、と忠告したのです。憑きものとは、欧米列強に追いつき追い越せとばかりに、より強く、大きく、速く、高くと近代化への道を突っ走った時代に特有の、豊かになれば幸せになれるという、拡大主義への妄信です」

 そこに囚われていては国は「亡びる」と?

 「日本国が滅びる、という直截(ちょくせつ)的な敗戦の予言というよりは、近代化への道をひた走るだけではいつか限界がきて破綻してしまうだろう、という警告だったのでしょう。戦勝ムードに沸く当時の社会で、このような発言は国賊扱いされかねなかったろうに、漱石はこの憑きものから自由だったから、小説の中で広田先生に『亡びる』と言わせることができたのです」

 ここに姜さんは、漱石を今の時代に読む意味を見いだしている。

 「漱石の時代の憑きものは、行け行けドンドンの時代がとっくの昔に終わったこの国で今、依然として我々にとりついてはいないでしょうか。あのような体験を経たというのに」。深い静かな声だった。

震災を経たのに再び成長・拡大主義を妄信する“憑きもの”

 「あのような体験」とは、多くの被害をもたらした5年前の東日本大震災、そして東京電力福島第1原発事故のこと。

 姜さんは、この二つの出来事を境に、<人生が上昇カーブを描いて隆起し、光と明るさが豊かさと幸せに通じるという「盲信(もうしん)」のようなものから決別するようになった>と新著のあとがきでつづっている。姜さん自身、こうして憑きものが落ちた時、長年親しんできた漱石の言葉が改めて「天啓」のように心を打ったのだという。

 「私だけではない。震災直後、少なからぬ人から憑きものが落ちたはずです。今後何を理想にし、何を追求していくべきなのか、自然と文明の両方から突きつけられました」と振り返る。

 姜さんは「今は、漱石の生きた時代に酷似している」とも言う。

 「日露戦争の勝利で近代化が一段落したことで、逆に社会は大きな目標を失った。漱石三四郎などの登場人物の日々の迷いや孤独などを通して描いたのは、そんな明治国家や当時の社会状況でした。日本は日露戦争の勝利を境目に、愚かで無謀な戦争へと転がり落ちていきました。翻って高度成長期を経験し、さらにバブル崩壊後の『空白の20年』の末に大震災を体験した私たちは今後、いったいどこに向かうのか」

 政治学者の目には、震災から5年たった今、人々が再び憑きものにとりつかれてしまったように見える。

 「第一に、安倍晋三政権のアベノミクスがそうです。成長し、より豊かになることを今さらまた最優先しようという」。国民からある程度支持されているようだが、姜さんは「それは表面的なものではないか」と疑問を口にした。

 「成長・拡大主義が崩れ去っているのにオルタナティブ(対案)が見つからない。だから人々は相変わらず、成長、成長と言い続けるしかない。実は心の底ではこのままでは限界が来ると分かっているのではないでしょうか」。そして真剣なまなざしを向けてこう続けた。「だとすれば、病理はより深い。あたかも心を病んでいる人が十分な休暇をとらないまま、ごまかしごまかしして職場復帰するようなもの。将来、もっとひどい結果を招かねば良いが……」

 憂いの深い姜さんの表情を見て、広田先生の声が耳の奥で聞こえた気がした。

 「亡びるね」

政府批判しても「非国民」ではない。日本より頭の中は広い

 再び小説「三四郎」に戻ろう。広田先生は、こんなせりふも口にする。

 <すると男(広田先生)が、こう言った。「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った>

 ふと考える。私たちの「頭の中」は本当に今、日本より広いだろうか。憑きものに囚われないため、できることは何なのだろう。

 姜さんは少し考え込んだ後、語り始めた。「自己本位的な個人主義から始めることが大切ではないでしょうか。利己主義ではなく個人主義。自分の足元や身近な人間関係を作り始めること。そして寄る辺のない孤独感を感じたとしても、狭く閉じず、自分を開いていくことでしょう」

 狭く閉じ、排他的になってしまった先にあるのが、右傾化やヘイトスピーチではないか、と指摘する。

 「漱石は『私の個人主義』で応分の愛国心を持っていることを明かしています。つまり身の丈にあった愛国心。自分の暮らす土地、そこでの人間関係を大事にする愛郷の思いの先に国を愛する気持ちが出てくる。しかし今は『土台のない愛国心』が目立ちます」

 どういうことなのだろう。

 「地域は過疎化し、人間関係は希薄になるばかり。そんな中で、地域や身近な人間関係を飛び越えて、いきなり国に向かう傾向が強まっている。愛郷なき愛国心。愛国というより国家主義。いや、国家主義ですらない。政府主義。政府を批判する者は全部『非国民』だというような……。でもね、国家の有りようを時に批判したならば日本人でいられないなんて、そんなことはないはずなんです」

 姜さんはそこで言葉を一つ区切ると、最後は笑顔でこう付け加えた。

 「なぜなら日本より、私たちの頭の中は広いはずなのですから」

 漱石の言葉は、今を生きる私たちにも向けられている。
    −−「特集ワイド:姜尚中さんが語る漱石」、『毎日新聞』2016年04月06日(水)付夕刊。

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