覚え書:「社説余滴:キセルの真ん中を開け 氏岡真弓」、『朝日新聞』2016年04月08日(金)付。
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社説余滴:キセルの真ん中を開け 氏岡真弓
2016年4月8日
教育社説担当・氏岡真弓
教科書は国のチェックでここまで変えられるのか。文部科学省が発表した教科書の検定結果を取材して驚いた。
出版社が提出した元の本は事件の資料を読み、アジアの信頼を得るためになすべきことを考えるのが狙いだった。
ところが検定後は、犠牲者数が諸説ある理由を分析するコラムに様変わりしていた。
何があったのか。
入手した執筆者らの記録から「教科書調査官」と彼らのやりとりが浮かび上がった。
調査官は文科省の職員で、検定意見のたたき台を書き、出版社が意見を受けて出してきた修正について合格、不合格の判定案をつくる。
最初の本に載っていたのは、外務省の見解や東京裁判の判決、村山富市元首相の談話など5点の資料だった。
「被害者数が諸説あることは外務省見解からわかる。ほかの資料は、様々な立場から事件を正面から認めるものを選んだ」と執筆者は話す。
ところがそれが検定する側には「犠牲者を多く見る資料ばかりを選んだ」と映った。
調査官の求めに応じて筆者らは資料を差し替えたり加えたりするが、了承されない。
6回案を出し、やっと認められたのは、なぜ事件が起きたか、なぜ被害者数に違いがあるかという問いを考える案だった。残った資料は外務省見解と村山談話だけだった。
構成を考えたのは誰か。
文科省は「途中のやりとりは言えないが、調査官の案とは聞いていない」という。だが執筆者の一人は「調査官から締め切り2日前に示され、合格するには受け入れざるを得なかった」と話す。
その証言が事実なら、「審判」側の調査官が、「監督」としてこうせよと指示し、執筆者らは「プレーヤー」としてのむほかなかったということになる。
「元の本より合格した本の方が資料の分析力がつく」と見る研究者がいるのも事実だ。だが内容をどう評価するにせよ、問題なのは検定のやり方だ。調査官が水面下でどう振る舞ったかはきちんと検証されるべきではないか。
文科省が検定後に公開するものは、出版社の原本や検定意見、修正された記述などに限られる。入り口と出口は見えても、間はわからない。
ある執筆者はそれを「キセル」にたとえた。キセルの真ん中を開いてこそ、検定の透明化といえると私は思う。
(うじおかまゆみ 教育社説担当)
−−「社説余滴:キセルの真ん中を開け 氏岡真弓」、『朝日新聞』2016年04月08日(金)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12300241.html