日記:《日常的ファシズム》の危険な芽に抗するためには

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 ヒトラーの政権奪取後、まもなくドイツ各地に強制収容所が建設された。その鉄条網の背後には、コミュニストはじめ平和主義者にいたるまで、ナチズムのいう《民族の敵》が拘禁された。これらの人びとは、いっさいの−−じっさい、ナチ司法すらの−−保護なしに、その職業、家族、自由を、ついにはその生命さえも奪われていった。しかし、当時、まだ自由な人間だったニーメラーは、こうした事態の経過全体に心をとめてはいなかった、と厳しく反省するのである。彼はいう。「これらの人びとは私にたいする神の問いかけであった。私は、神の御前にあって、当時、その問いに応えるべきであったのに、そのことばには、現代ドイツの《良心》としてのニーメラーの真実がこめられているであろう。

 ファシズムも戦争も、ある日、突然、天から降ってくるわけではない。私たちの周辺でも、管理社会化への着実な動きがある。そこには、すでに《日常的ファシズム》の危険な芽がはぐくまれているのではないだろうか。たとえば非行対策のためといって徹底した子どもたちの管理=規制が行われはじめている。それは《学校ファシズム》という名前で呼びうる現実を生み出しつつある。
 この通常国会冒頭で、中曽根首相は、初の施政方針演説をこころみた。日本が「戦後史の大きな転換点」に立っているといい、「従来の基本的な制度や仕組み」について「タブーを設けることなく、新しい目で素直に見直す」べきだと強調した。しかし、その「転換」と「タブー」打破の方向は、どう見定められているのだろうか。それこそが問題だろう。
 《有能》と《仕事》を自負する首相の歴史認識の底にあるのは、たとえば「戦後の個人尊重思想の浸透」が人びとに「孤立感と不安感を与え諸問題を引き起こしている」というにある。国家権力の担い手の側から積極的に提起される《タブー打破》の掛け声が憲法の基本原理をあいまいに、なし崩しにしていくとすれば、まことに危険というほかない。解散−総選挙も近いことがささやかれている。「アダムよ、お前はどこにいるのか」−−これは、今日、私たち一人ひとりに向けられた問いにほかならない。(一九八三年一月)
    −−宮田光雄「はじめに、アダムよ、お前はどこにいいるのか−−ヒトラー政権成立50年後に」、『アウシュヴィッツで考えたこと』みすず書房、1986年、10−12頁。

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宮田光雄先生の『アウシュヴィッツで考えたこと』(みすず書房)を読み始める。
1983年から翌84年にかけて、新聞や雑誌への寄稿をまとめた一冊で、83年夏から3ヶ月におよびヨーロッパ在外研究の旅での思索が綴られている。

アウシュヴィッツは、ナチ支配の《極限形態》であり、著者にとって、ナチ研究ひいては現代史理解のための《原点》ともいうべき存在」への思索とは、著者のみならず、《極限形態》後を生きる一人ひとりの人間にとって、「希望の根拠」の手がかりとなり得るものであろう。

さて……。
著者の警世の思索は、「1983年」で決して完結するものではないということだ。冒頭の一文は、1983年1月31日に『朝日新聞』に掲載されたもので、「戦後政治の総決算」を掲げた第一次中曽根内閣への批判である。中曽根内閣への批判は、そのまま現在の安倍政権に対する批判をも含みうることに驚きを隠すことが出来ない。

先の大戦への「反省」などどこ吹く風の問題とは、単純に「戦前に回帰する」「戦争ができる国」になるといったものには収まりきらない。「戦前に回帰する」「戦争ができる国」とは、つまるところ、一人ひとりの人間の自己決定権が奪われ、国家という権力への奉仕という序列に、それが望ましい人間の生き方として組み込まれていくことにほかならない。その序列が完成することで「戦争ができる国」として「戦前に回帰」していくのだ。

先の大戦へどうしてなし崩し的になだれ込んでいったのかを繰り返さないためには何が必要なのか。

ファシズムも戦争も、ある日、突然、天から降ってくるわけではない。私たちの周辺でも、管理社会化への着実な動きがある。そこには、すでに《日常的ファシズム》の危険な芽がはぐくまれているのではないだろうか」。

1987年11月に成立した中曽根内閣は、83年12月の第37回衆議院議員総選挙ではじめて単独過半数に届かない敗北に喫する。中長期的に見れば、この後、中曽根政権は長期安定政権として命脈を伸ばし、86年の第38回衆議院議員総選挙参議院選挙とのダブル選挙)で圧勝する。

しかし中曽根政権への批判は、規範をもってその問題を指摘する力として、この時代においてはまだ有機的に機能していたとも言える。柄谷行人を引くまでもなく、中間団体としての「対抗」が問題が多いとは言え対峙が可能であった。
※中間団体の消失にはこの後十余年待たなければならない。

安倍首相には中曽根大勲位の如き強烈なパーソナリティは薄い。しかし、政官財をあげての基本的人権の尊重を損なうことを目的にした政策の推進とその馴化については酷似しているといっても過言ではない。

確かに、一人ひとりの人間が輝くことは吝かではない。しかし国家のために「活躍」することは、“「従来の基本的な制度や仕組み」について「タブーを設けることなく、新しい目で素直に見直す」”という装いで見ても、“その「転換」と「タブー」打破の方向”が導き出すものは、一人ひとりの人間が輝くことへ収斂はしない。

権力と対峙すべき中間団体が喪失した後、私たちはどのように対峙してゆけばよいのか。しかし、中間団体の再興を目指しても、それは詮無いことであろう。なぜなら、権力と対峙すべき中間団体そのものが小さな権力であったからだ。

名前の前に形容される「団体」で対峙する、誰かに導いてもらう、誰かに指導してもらう、というスタイルこそ対峙の限界を示しているのではないだろうか。

かつて戦前戦中ドイツでもそうであったように、そして同時期の日本でもそうであったように、絶対的な権力に立ち向かうことのできた集団は存在しないといっても過言ではない。その対峙が絶望的な結果を導き出すものであったとしても、輝くべき良心の軌跡は、すべて個人であった。

その意味では、違和感を持つ個人同士が、「誰かに導いてもらう」「誰かに指導してもらう」などして群れ、対峙するのではなく、対等な個人として手をつなぎ、権力の圧倒的な暴力に抗していくほかない。



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