覚え書:「書評:日本語を作った男 上田万年とその時代  山口謠司 著」、『東京新聞』2016年05月01日(日)付。

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日本語を作った男 上田万年とその時代  山口謠司 著 

2016年5月1日
 
◆体系化の中、生まれた確執
[評者]紅野謙介=日本大教授
 上田万年(かずとし)といえば、東京帝大最初の言語学者であり、「国語は帝室の藩屏(はんぺい)なり 国語は国民の慈母なり」と断言した「国家語」主義者(ナショナリスト)だと言われている。たしかにそのとおり。近代日本語を体系化し、普及させることで、「国民」を創出した一番の担い手が上田であった。
 本書はそうした「国語」作りがどのように進められたのかについて、上田に焦点をあてながらも、チェンバレン夏目漱石森鴎外斎藤緑雨坪内逍遥二葉亭四迷徳富蘇峰高山樗牛(ちょぎゅう)など、多くの文学者やジャーナリスト、官僚、学者たちの葛藤や衝突を描き出している。
 森鴎外との新仮名遣いをめぐる論争について、著者はいささか単純な整理をしすぎている。そうした瑕瑾(かきん)はあるが、副題「上田万年とその時代」の「時代」に一方の軸足を置いていて、上田をいたずらに批判するのではなく、「言語とは何かを問うこと」が「国家とは何かを問うこと」に重なっていた二十世紀初頭の時代、日本の国際的かつ国内的課題の困難さをよく浮き彫りにしている。
 しかし、言語とは「作った」と言い切れるものなのだろうか。夏目漱石の使った言葉がいまの日本語の原型だというには、あまりに違いがありすぎる。言語史的にみれば差異は大きくないのかもしれないが、私たちのいまの日本語は漱石のそれと比べてやせ細っていはしないか。政治家も官僚も、学者の言葉もふくらみを欠き、空疎な記号の交換にのみ終始している。
 上田万年その人は、江戸の戯作者とも共通する斎藤緑雨に親しみ、みずから江戸趣味を公言していた。上田自身、実は「国語」を作ることでさまざまな言葉の水脈を断ち切ってしまったのではないか。晩年に上田が作ったという都々逸(どどいつ)は、彼のなかにあった言語的な複数性をちらりとのぞかせている。そうした「国語」製作者の光と影が本書から見えてくる。
 (集英社インターナショナル・2484円)
 <やまぐち・ようじ> 1963年生まれ。大東文化大准教授。著書『となりの漱石』。
◆もう1冊 
 上田万年著『国語のため』(安田敏朗校注・平凡社東洋文庫)。西洋の言語学を範としながら国語の確立を目指した学者の講演録。
    −−「書評:日本語を作った男 上田万年とその時代  山口謠司 著」、『東京新聞』2016年05月01日(日)付。

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