覚え書:「書評:<花>の構造 石川九楊 著」、『東京新聞』2016年05月22日(日)付。

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<花>の構造 石川九楊 著

2016年5月22日
 
◆かなと漢字 ふたつの中心
[評者]岸本葉子=エッセイスト
 書家で評論家である著者が、花によって日本文化を読み解いた。自然物の花ではなく、<花>という言葉の構造からだ。前提で著者はまず、日本語の構造を述べる。日本語は単一の言語ではない。漢字により再生産される言葉と、ひらがなに支えられる言葉と、二つの異なる中心を包み込む全体を日本語と呼んでいると。
 ひらがなはどういう文字か。書家らしいとらえ方が興味深い。漢字は筆を垂直に立てて書く。中国で書くことの基盤は、鑿(のみ)で石に刻(ほ)ることだからだ。対してひらがなは筆先を紙に斜めに接し、撫(な)でるように書く。文字を滑らかに連ねることができ、ある文字の最終筆が次の第一筆を兼ねる「掛筆(かけひつ)」「併筆(あわせひつ)」も生まれた。かさね、あわせ、という美学は、ひらがなの書法に内包されていると言えそうだ。
 このひらがなが西暦九〇〇年頃に出来て、ひらがな語の「はな」は、漢字語の「花」に入り込む余地のなかった、端(はな)、離れる、放つ、話すの意味を併せ持つようになる。感傷的な美学の成立だ。 
 文化は疑似中国的なものを脱し、独自の表現領域を広げる。政治、思想、宗教、哲学の表現には、ひらがな語は不向きだが、そこからはみ出る分野、すなわち四季と性愛をうたい上げる。その伝統は「古今和歌集」から現代の流行歌まで続いている。
 しかし読者はこの本を、日本文化の独自性を称讃(しょうさん)するものと受け止めてはならない。著者は言う。漢字語とともにあり、漢字語の抑制のもとで「はな」ははじめて美しく生きると。
 しかるに今は抑制を失い、二つの中心を持つ日本語が均衡を崩し、大きく傾いた姿にある。漢字語の軽視によって、それが担う政治、思想、宗教、哲学の分野は衰えた。「そこに錘鉛(すいえん)を深くしずめる営為がいまとても重要だと思われる」
 クール・ジャパン現象で浮かれている場合ではない。
(ミネルヴァ現代叢書・2160円)
<いしかわ・きゅうよう> 1945年生まれ。書家・評論家。著書『日本書史』など。
◆もう1冊 
 笹原宏之著『訓読みのはなし』(角川ソフィア文庫)。漢字を大和言葉で読む訓読みの歴史をたどり、豊かな日本語の世界を紹介する。
    −−「書評:<花>の構造 石川九楊 著」、『東京新聞』2016年05月22日(日)付。

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