覚え書:「書評:【書く人】元気をもらえる魅力 『子規庵・千客万来』国文学者・復本一郎さん(72)」、『東京新聞』2016年06月26日(日)付。

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【書く人】

元気をもらえる魅力 『子規庵・千客万来』国文学者・復本一郎さん(72)

2016年6月26日

 わずか三十四年の生涯で、俳句と短歌の革新、さらには写生文による文章革新という大事業をやってのけた正岡子規(一八六七〜一九〇二年)とは、どのような人物だったのか。本書は交流のあった多数の門人や友人らが雑誌などに残した文章から、子規の人となりや人間的な魅力を生きいきと伝える。
 エピソード満載の楽しい本だ。例えば、子規門の歌人伊藤左千夫は「最も敬服に堪えないのは常に反省心を有して居られた点である」と述べ、他界する三カ月前に子規が「自分の俳句は、自分の思つたよりも、下等であつた」と語ったと記している。十六歳のとき東京・根岸の子規庵を訪ねた岩動炎天(いするぎえんてん)という俳人は、「頭ばかり大きく、御顔は痩せ衰へ、腕は箸の如く細り給ひし御容態」と最晩年の子規の様子を描写したあと、その病苦のなかで初対面の少年が「よく来てくれた」と迎えられ、「御話を伺ひつゝ時間を過ごした」と回想している。
 「左千夫が言うように、自分を客観視できること、それが一流の文学者の資質だと思う。子規は無名の若い人でも目上の人でも分け隔てをしなかった。時代というものに対する関心が非常に強く、訪ねてくる人たちから世間の動向を聞きたかったのでしょう。当時は死の病といわれた結核患者ですから、普通は忌み嫌われるはずなのにみんなが集まってくる。元気づけるのではなく、子規から元気をもらっている。そこが子規の不思議な魅力ですね」
 日清戦争で従軍記者となった子規は明治二十八(一八九五)年に帰国の船中で喀血(かっけつ)。子規庵に戻ってからほとんど寝たきりとなる。そして明治三十五年九月十八日、画板に<糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし佛(ほとけ)かな>など三句を書きつけ、翌日死去した。
 脊椎カリエスによる「病床六尺」の生活のなかで、なぜ俳句と短歌、文章の革新が成し遂げられたのか。その理由を問うと、復本さんはこう答えた。「病を前向きに受け止め、病を愉(たの)しむ境地です。だから句も文章も明るく、ユーモアがあってじめじめしていない。それは今、病で苦しんでいる方に対する応援歌になるのではないでしょうか」
 復本さんは芭蕉や鬼貫(おにつら)、俳諧史・俳論史の研究を経て、子規の世界に開眼。現在は評伝を書く準備中で、「来年は生誕百五十年なのでぜひ出したい」と話す。
 コールサック社・一六二〇円。 (後藤喜一
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