覚え書:「書評:我が詩的自伝 素手で焔ほのおをつかみとれ! 吉増剛造 著」、『東京新聞』2016年06月26日(日)付。

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我が詩的自伝 素手で焔ほのおをつかみとれ! 吉増剛造 著

2016年6月26日

◆国境を軽々と越える足跡
[評者]稲川方人=詩人
 吉増剛造は今年七十七歳。一九六七年に発表された荒々しく若々しい「疾走詩篇」以来ずっとその仕事を追って来た者からすると感慨は複雑だが、この自伝には「老境」の気配は一切ない。自己史を回顧するのに一時の停滞感もないのは、これが書かれたものではないからだろう。対話者を前にした吉増剛造の語りが炸裂(さくれつ)するのだ。
 その声、イントネーション、多様に駆使される語尾など、誌面には表れない喋(しゃべ)りの感覚が損なわれていないのである。母親が十八歳の時の子で、博多から子守りに来た祖母の「剛ちゃん、今度の戦争は大東亜戦争っていうんだよ」という印象的な声を端緒に、七十数年の出来事が一気に加速していく様を読むのはまさに豪快な経験である。
 戦中の和歌山への疎開、米軍基地のある横田をはじめ多摩川上流付近での少年時代、小学校五年のころに初めて書いた詩のこと、福生駅前で撮影されていた溝口健二の『赤線地帯』のことなど、記憶の底から断片的に解放されていく個人史から、吉増詩の背景と源泉が読み取れる。稀有(けう)な傑作詩集である『オシリス、石ノ神』に召喚された「テルさん」が誰なのかが明らかにされる箇所はとりわけ興味深い。
 それらの私的な体験は、慶応義塾大学入学以後、詩を書く友人らとの出会いから激しく変容していく。吉増剛造の個人史にこの国の一九六○年代以降のサブカルチャーの様相が重なってくるのだ。名前を挙げるだけで紙数が尽きるほどの国内外を問わない文学者、美術家、映画作家らとの関係によって、この五十年ほどの時代の風景が鮮明に描かれている。この自伝の特筆に値するだろう。人物交流の多彩さのみならず、吉増の足跡は軽々と国境さえも越えていく。彼は戦後の現代詩を代表するが、しかし狭義の「文学」に収まり切れない存在であることが、いよいよ明白になってくる。その実際はいま東京国立近代美術館で開催中の展覧会で目の当たりにすることができる。
 (講談社現代新書・972円)
<よします・ごうぞう> 1939年生まれ。詩人。著書『黄金詩篇』『怪物君』など。
◆もう1冊 
 吉増剛造著『心に刺青(いれずみ)をするように』(藤原書店)。出会いや旅の回想から、この世界に反響するさまざまな声を記述した散文集。
    −−「書評:我が詩的自伝 素手で焔ほのおをつかみとれ! 吉増剛造 著」、『東京新聞』2016年06月26日(日)付。

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