覚え書:「憲法を考える:知らなかった立憲主義 田村理さん、高橋朝子さん」、『朝日新聞』2016年05月17日(火)付。


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憲法を考える:知らなかった立憲主義 田村理さん、高橋朝子さん
2016年5月17日

イラスト・小倉誼之

 立憲主義という言葉をよく見聞きするようになったのは、いつからだろう。「憲法は国家や権力を制約する」という普遍的な考え方だが、最近の改憲論議や安保法制に批判が向けられるまで、案外と日陰の存在だった。

 先生、私たち、どこかで習いましたっけ。

 ■安倍政権で注目される皮肉 田村理さん(明治大学准教授)

 朝日新聞と読売新聞に「立憲主義」という言葉がどれくらい登場したか、2014年までの20年間を対象に調べたことがあります。2003年までは、年に数件程度しか載っていませんでした。

 立憲主義を一般の人たちはよく知らないし、考えたこともないと感じていましたが、それが証明されたなと思いました。日々政治を扱う新聞ですら、この言葉を使おうとしてこなかったのですから。

 06年に第1次安倍晋三政権が誕生した頃に2桁になりますが、急増するのは13年、政権に返り咲いた安倍さんが96条の改憲要件を緩めようと提起したころから。「立憲主義に反する」と学者らが批判し、報道が一気に増えました。それで初めて知ったという人は多かったのではないでしょうか。

 皮肉にも、立憲主義という言葉が世の中に定着するうえで安倍さんの貢献は大きい。かなりむちゃなことを次々とやったおかげで、注目されるようになりました。

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 立憲主義が日本で強く意識されてこなかったのはなぜか。一つには、私たちより上の世代の憲法学者憲法を語る際に、あまりにも当然で、わざわざ言うまでもないと考えたからでしょう。

 一般の人びとにとっては「権力を縛る」と言われても具体的に何を指しているのかわかりにくい、実感しにくいということもあるでしょう。むしろ多くの人にとっては、国家や権力とは自分たちを守ってくれるもの、頼るべき存在、という意識が根強いと思います。

 戦後、人びとが立憲主義的な観点を欠いたまま日本国憲法を受け入れてきたことは間違いありません。典型が1947年に当時の文部省が中学生用の教科書として発行した「あたらしい憲法のはなし」です。長年護憲のバイブルのように扱われてきましたが、立憲主義的な記述はほとんどありません。逆に「みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守っていかなければなりません」とあります。

 そうだそうだと思ったら、その時点で間違っています。憲法を守る義務があるのは政治家や公務員であり、一般の国民ではありません。この記述は、立憲主義とは相いれないものです。

 近年、言葉として知られてきたとはいえ、中身が広く理解されたかというと疑問です。

 安倍政権の改憲路線を、護憲派の人たちが「立憲主義を守れ」と批判しています。確かに自民党改憲草案は立憲主義的ではない。しかし立憲主義を護憲のシンボルにするべきではありません。なぜなら、護憲だろうと改憲だろうと、立場のいかんを問わず憲法の土俵に乗って、そこで戦うべきだというのが立憲主義だからです。

 そのためには「公権力も憲法という決められたルールに従って行使されるべきだ」という合意が、もっと広がってほしい。「必要だから」といった理由で、条文はそのままでそこからかけ離れた解釈を行ったりすることも、立場のいかんを問わず避けるべきです。

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 立憲主義は、先進民主主義諸国ではほぼ共通の概念です。それなのに最近、主に改憲派と言われる人たちの間から「欧州で生まれたもので、日本には合わない」などという反発も強まってきました。

 その感覚が私にはよくわかりません。欧州だってまだ「個人」などという概念が確立していなかった時代に、「個人」を作り出し、立憲主義を作り出してきました。なぜなら、それが人びとに必要なものだからです。同様の必要性が日本にもあるなら、世界のどこで生まれたものであれ、私たちにとって必要なはずです。

 日本に立憲主義なんてもう必要ない、それぐらい公権力は立派で勝手なことはしないというのなら、それはそれでおめでたいことです。でも現状を見ていると、とてもそうはいかない。むしろ、ますます必要になっています。

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 たむらおさむ 65年生まれ。専門はフランス憲法史、憲法学。立憲主義の重要性を訴えてきた。著書に「国家は僕らをまもらない」「憲法を使え!」など。

 ■教科書に登場、教え方も変化 高橋朝子さん(東京都立戸山高校教諭)

 高校の「政治・経済」や「現代社会」の授業で日本国憲法の中身を教えることは必須です。しかし立憲主義を教えることは、特に意識している教員以外、これまであまりなかったと思います。

 何より、教科書にほとんど出ていなかったから、ということが大きいでしょう。当然、準拠教材でも扱われないし、定期テストにも出せません。センター試験でも出題されないでしょう。

 中には、「法の支配」や「フランス人権宣言」を説明する中で、あるいは大日本帝国憲法日本国憲法の違いを話す際に、立憲主義に触れる先生もいるかもしれません。でも多くの教員にとっては、今の憲法の中身、つまり三大基本原理(国民主権基本的人権の尊重、平和主義)や、個々の重要な条文について教えなければ、というのが第一にあると思います。

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 もし日本の歴史の中で人びとが必死になって憲法を作った過去があったら、教えているのかもしれません。そのうえ、今の憲法は生徒たちにとってはもちろん、教員世代にとっても生まれた時から「ある」ものです。存在していることが当たり前すぎて、そもそも憲法とは何かとか、憲法があることの意味まで、なかなか思いが至らなかったのかもしれません。

 私たちより上の世代の、安保闘争の世代の先生たちは「護憲」という人が多かったように思います。憲法を守ることが大事だと。それより下の世代は、「憲法を守る」というよりも「憲法のことを知る」ですね。私も生徒たちに憲法についてきちんと知らせたい。きちんと知らせて、それぞれで考えてみよう、という立場です。

 私の場合、授業でこれまでも立憲主義を教えてきました。高校時代に教わった記憶はありませんが、大学の法学部に進み、そこで初めて知り、これは大事だと。

 生徒たちには「憲法と法律はどう違うか、わかる?」と問うところから始めます。道路交通法などを例に「法律は私たちの生活がうまく進むためのルールで、国民を規制したりするね。では憲法で重要な主語は何かな」と考えさせると違いがわかる子が出てくる。さらに話し合いをさせると「ああ、そうか」と。答えは国民です。

 国民がもっている様々な権利を確保するために、「憲法とは権力の濫用(らんよう)を防ぎ、コントロールするものだよ」と立憲主義を説明すると、「へー」っていう顔をしています。わかる子はわかります。

 知識にとどまり、本当の意味ではわかっていないかもしれません。でもいつか何かの時に思い出してくれればプラスになるので、教えた方がいい。憲法を掲げている国である以上、大事にしなければならない考え方だと思います。

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 この1、2年、教科書が大きく変わり、立憲主義がはっきりとした形で登場しました。例えば私もかかわった実教出版の教科書は、本文で「憲法に従って政治をおこなうべきとする考え方」と書き、さらにコラムを立てて「権力の制約」を詳しく説明しています。第一学習社の教科書は「憲法によって政治権力を規制し、その濫用を防止する」、東京書籍の教科書は「憲法は権力をしばるためにある」などと説明しています。

 18歳選挙権の導入もあって、憲法や政治参加について、教科書会社が記述を増やしました。この数年の社会の意識の変化も取り込んだ結果です。

 大学入試では、早稲田大学の法学部が2013年に立憲主義に関する記述問題を出題しました。私も授業でこの問題を使って「立憲主義について自分で説明できないと解けないよ」と話しています。

 教科書が変わった。入試にも出る。今後は学校現場で立憲主義を教える度合いは増えていくでしょう。現場の教員も勉強して、意識を変えていく時代だと思います。

 (聞き手はいずれも編集委員・刀祢館正明)

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 たかはしともこ 63年生まれ。「政治・経済」の教科書執筆にかかわる。総務省文部科学省による主権者教育副読本「私たちが拓く日本の未来」の作成協力も。
    --「憲法を考える:知らなかった立憲主義 田村理さん、高橋朝子さん」、『朝日新聞』2016年05月17日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12360422.html



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