覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・義務:下 国民にも「尊重せよ」、何のため」、『朝日新聞』2016年05月27日(金)付。

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憲法を考える:自民改憲草案・義務:下 国民にも「尊重せよ」、何のため
2016年5月27日

 自民党憲法改正草案は、ダメを押すかのごとく、最後の102条でも、国民に新たな義務を課す。

 「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」

 草案Q&A集は「憲法の制定権者たる国民も憲法を尊重すべきことは当然」と条文を新設した理由を説明。尊重義務の中身は「『憲法の規定に敬意を払い、その実現に努力する』といったこと」だとしている。

 おかしい。

 憲法によって権力を縛るという立憲主義の考え方に基づき、現憲法は政治家や官僚に対してのみ憲法を尊重し擁護する義務を課していたはずだ。

 立憲主義をひっくり返そうとしているのか?

 そんな疑念に駆られつつQ&A集をめくると、「自民党憲法改正草案は、立憲主義を否定しているのではないですか?」との問いがあった。答えは「否定するものではありません」。この問答は当初のQ&A集にはなく、増補版から追加された。

 さらに「立憲主義は、憲法に国民の義務規定を設けることを否定するものではありません」とも記されている。たしかに、憲法に義務規定を置いている立憲主義国家はある。たとえばドイツは国民に対し、「尊重」よりも強い「憲法忠誠義務」を課している。なぜか。

 1933年。ドイツは当時最も民主的なワイマール憲法下にあった。ところが国家緊急権を乱用され、ナチス独裁に道を開いてしまった。その反省から戦後、「自由の敵に自由は与えない」という考え方を憲法に定め、国民に忠誠義務を課しているのだ。

 翻って、自民党改憲草案は何のために、国民に憲法尊重義務を課そうとしているのか。

 ドイツ流の歴史への反省?

 いや、草案は、現憲法前文にあった「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という一文を削除している。

 「尊重は当然」では到底、答えにならない。憲法はいわば、主権者たる国民が政治家や官僚に対して突きつける「命令書」だ。そこに、主権者も憲法を尊重せよと書き込むのであれば、極めて強い合理的な理由がいる。上から一方的に尊重義務を押しつけるだけなら、「臣民は此(こ)の憲法に対し永遠に従順の義務を負う」とした大日本帝国憲法の発布勅語と変わらない。

 憲法尊重擁護義務を課せられている政治家が「憲法を変えよう」と声高に言う時、私たちはよくよく注意しなければいけない。どんなに素晴らしい人たちでも権力を持てば、その力を濫用(らんよう)する危険性は常にある。

 現行憲法12条を読み返す。

 「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」

 そう。わたしたちの「不断の努力」は、権力者に憲法を守らせるためにこそ求められる。そしてそれは、「戦争の惨禍」を経てようやく手に入れた自由と権利を、自分たちの手で「保持」することに他ならない。

 (藤原慎一

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 「義務」編はこれで終わります。次回は「『保守』の論理」編を掲載する予定です。
    −−「憲法を考える:自民改憲草案・義務:下 国民にも「尊重せよ」、何のため」、『朝日新聞』2016年05月27日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12378649.html





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