覚え書:「危機の20年 北田暁大が聞く 第2回 ゲスト・姜尚中さん 保守政治の流れ」、『毎日新聞』2016年05月28日(日)付。

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危機の20年
北田暁大が聞く 第2回 ゲスト・姜尚中さん 保守政治の流れ(その1)

毎日新聞2016年5月28日 東京朝刊

 21世紀の日本は、経済の「失われた20年」を経て、政治や社会も激変した。北田暁大・東京大教授(社会学)が当事者や識者と振り返る。今回は、政治学者の姜尚中さんと、戦後政治の流れの中にこの20年を位置づける。【構成・鈴木英生、写真・内藤絵美】

経済成長が支えた路線、小渕政権で完全に終了
 北田 今の安倍晋三政権に至る、特に過去約20年の保守政治の流れをどうご覧になりますか?


対談する北田暁大・東大教授(左)と姜尚中・東大名誉教授=東京都千代田区で、内藤絵美撮影
 姜 戦後政治全体の中で捉えるべきでしょう。戦後民主主義を支えてきたのは、実は大きくいえば吉田(茂)=注<1>=路線。この20年は、与党内で吉田路線に代わるものの試行錯誤が続いてきた。

 北田 吉田路線とは?

 姜 戦前の体制から軍部や統制官僚などを排除した、保守派の政治路線です。軍部や国家社会主義では国体を護持できないと結集した保守政治家や昭和天皇周辺の人々が、アメリカの求めた改革を受け入れて天皇制を残した。日米合作で「戦後国体」を護持し、民主主義と平和主義を本土内で達成した。戦後レジームとは憲法日米安保と沖縄の犠牲の三本柱で、経済成長に支えられていた。吉田路線は1970年代半ば以降の低成長期を経て冷戦終結バブル崩壊、95年の阪神大震災で壁にぶち当たった。90年代半ばから少子高齢化も進み、小渕恵三政権(98年7月〜2000年4月)を最後に、吉田路線は完全に終わったと言えます。

 北田 それまでの自民党と支持層に、ある程度の民主主義的な感覚やバランス感覚を与えた基盤は、経済の順調さへの信頼でした。政治が、どうしたら幸福な人生を過ごせるかを示し、それを実現する土壌として経済成長があった。人々の「幸せ」の形は、お父さんが外で働き、お母さんが専業主婦で子供2人に持ち家、という「家族の戦後体制」=注<2>=でした。これ自体、欺まんに満ちたものでしたが、とにかくその幸せ像で政治は人々を引っ張れました。

 今の安倍政権がしようとしているのは、かつての幸せ像提示の反復でしょう。アベノミクスで成長の夢を見せて、反ヘイトスピーチ法や性的少数者の権利擁護法案などでリベラルさも出す。最終目標は改憲ですが、人々の社会意識、平等や多様性をうまくつまみ食いしています。他方で野党は財政均衡ばかり。対抗策は、経済成長と安定に支えられた民主主義を取り戻すことしかないのに。

 姜 それと、日本の宿痾(しゅくあ)は中央集権的な動員体制です。行政の集中が極端で、先日私が熊本で経験した大地震のような災害で、見事に問題が噴出する。道州制も必ずしもよくはないですが、(分権的な)ドイツは日本よりはるかにうまくいっている。行政の集中を変えるには「政治の集中」が必要ですが、民主党の政治主導は見事にこけた。ともあれ、日本はこの20年間、成長が難しくなったが故に集権化が進んだのではないかと。

 北田 行政による直接の規制は、20年で確実に緩和されました。僕の立場も公務員から国立大学法人の非公務員になった。他方で小さい予算をえさに、みんなが競争にかり出されている。露骨な支配ではなく形式的に自立させて、えさを細分化して誘導する。農漁業も工業も教育も、規制緩和と統治の強化がセットです。

 姜 僕は79年を戦後の転換点と見ますが、当時の大平正芳首相は、財政再建のため、初めて消費税導入を目指した。20年後に首相を務めた小渕は大平を尊敬していた。吉田路線は大平政権で曲がり角を迎え、小渕政権で終わる。小渕政権で別の道を選べたら、今ほどはひどくならなかった。

 北田 戦後、自らの能力で官僚を御し切れた首相は、岸信介=注<3>=まででしょう。続く池田勇人以後の首相は、官僚との調整型になる。ちなみに、60年安保ではあれだけ「反岸」機運が高まったのに、直後の総選挙で自民党は「負けなかった」。この経験を野党や反安倍の立場の人たちは思い出した方がいい。ともあれ、池田政権以降は経済官僚主導の高度成長が成功した。この調整型が大平あるいは小渕で終わった。特に小渕後は、官僚をコントロールしているつもりで、実はまったく官僚に勝てない首相が続いています。

 調整型首相の時代は、ほぼ、「家族の戦後体制」幻想の時代と重なる。この幻想を前提に国も企業も労組も制度を作ってきた。79年は確かに分水嶺(ぶんすいれい)で、80年代には主婦がパートつまり非正規労働をしないと住宅ローンが払えなくなる。90年代には、本格的に幻想が壊れた。今こそ、以前と違う形での調整と幸せ像の提示が必要なのに、調整のできない人たちが政治をしている。少子化も家族も労働も貧困も対策がばらばら。お金をばらまいたり、行政が婚活パーティーをしたり、道徳教育で家族の大切さを教えても解決しません。

 ■人物略歴

カン・サンジュン
 1950年熊本市生まれ。東京大名誉教授、熊本県立劇場館長。早稲田大大学院博士課程修了。聖学院大学長など経て現職。著書『悩む力』『在日』『漱石のことば』など多数。
    −−「危機の20年 北田暁大が聞く 第2回 ゲスト・姜尚中さん 保守政治の流れ(その1)」、『毎日新聞』2016年05月28日(日)付。

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危機の20年
北田暁大が聞く 第2回 ゲスト・姜尚中さん 保守政治の流れ(その2止)

毎日新聞2016年5月28日 東京朝刊

壊れた家族の戦後体制 調整できない政治家
 姜 中曽根康弘政権が86年に衆参同日選で大勝したとき、中曽根さんは「自民党は左にウイングを伸ばした」と言いました。古い自民党は完全な農村型政党でしたが、第2次以降の安倍政権は、中曽根以来の都市政党化の流れにある。

 北田 安倍政権は都市中間層を取り込むため、政策のばらまきに本当に努力している。「保育園落ちた日本死ね」騒動への迅速な対応を見ても、都市の30〜50代を確実に意識している。とはいえ、問題は山積ですから与党への対抗軸が必要です。そこで、経済成長をどう考えるか。今、日本の1人あたりのGDP(国内総生産)は世界で26位です(名目、2015年)。政治が幸せ像を提示する、北欧型といわずとも、西欧型の福祉政策をやるにもこの回復が喫緊の課題です。それには健全な成長が必要です。

 姜 2020年に基礎的財政収支プライマリーバランス)を黒字化するのは無理ですね。プライマリーバランスはいったん脇に置き、医療や教育、年金など市場経済化できるような社会関係資本財政出動によって5年なりの期限付きで育て内需を喚起する。いわば5カ年計画が必要です。

 北田 医療や教育など人的資源に投資したとき、回収にはせめて5年、あるいは10年かかります。スウェーデンは、これを何十年単位でやりました。

 姜 野党は単年度で政権を取ろうとしても……。

 北田 政権は取れませんね。なにせ現状は、目前の参院選改憲阻止が目標ですから。

 姜 改憲を阻止できる議席の確保では、55年体制と変わらない。「立憲主義擁護」は一般の人に分かりにくく、民進党も対米従属に違いはない。だからこそ、社会的資本への投資とそれによる将来像をパッケージで示して、与党との違いを見せてほしい。今のままでは、下手をすれば与党が3分の2の議席をとりかねませんよ。

注<1>=1878〜1967年。46〜47年と48〜54年、計5次にわたり首相。戦前は親英米の外交官で、戦中は和平工作を企てた。

注<2>=落合恵美子京都大教授の言葉。

注<3>=1896〜1987年。57〜60年に首相。戦前は革新官僚、戦中は東条英機内閣に入閣。戦後はA級戦犯容疑者(不起訴)。安倍晋三首相の祖父。

 ■対談の背景

 以前、大阪の市場で取材したときに、「アベノミクスのおかげで中国人観光客が増えて景気がいい」と言われた。今回の議論から、第2次、第3次安倍政権は、岸政権で失敗した改憲路線を基盤に、表層ではむしろ、池田政権以降の成長路線、あるいは中曽根政権以降の都市中間層向け路線を引き継いでいると分かる。だから、「立憲主義の破壊」程度で支持率はあまり下がらない。この複雑さを前提にした分析が、より広まることを期待したい。【鈴木英生】=次回は6月25日掲載

 ■人物略歴

きただ・あきひろ
 1971年神奈川県生まれ。東京大大学院博士課程退学。博士(社会情報学)。筑波大講師など経て現職。著書『嗤(わら)う日本の「ナショナリズム」』『広告の誕生』など。
    −−「危機の20年 北田暁大が聞く 第2回 ゲスト・姜尚中さん 保守政治の流れ(その2止)」、『毎日新聞』2016年05月28日(日)付。

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危機の20年:北田暁大が聞く 第2回 ゲスト・姜尚中さん 保守政治の流れ(その2止) - 毎日新聞



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