覚え書:「【書く人】生身の姿、残したかった 『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』 伊藤淳さん(70)」、『東京新聞』2016年08月21日(日)付。

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【書く人】

生身の姿、残したかった 『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』 伊藤淳さん(70)

2016年8月21日
 
 ゾルゲ事件を当局に密告したとして「権力のスパイ」と呼ばれた日本共産党の元幹部・伊藤律の次男。「ようやく汚名が晴らされた現在、政治運動家ではない、人間としての父の姿を残しておかなければいけないと思った。残せるのは自分しかいないと強く感じた」と執筆の動機を話す。
 一九五〇年、連合国軍総司令部(GHQ)のレッドパージにより律が地下に潜行した時はまだ四歳だった。律は翌年、ひそかに中国に渡ったが、ゾルゲ事件スパイ疑惑が持ち上がり、現地で幽閉された。以来、八〇年に劇的な帰国を果たすまで、生死すら分からない消息不明の状態だった。
 この間、母と兄の三人の生活。母からは、「お父さんは間違ったことをしていない」と聞かされて育ったが、世間はスパイのレッテルを貼り、何より、自身も所属した日本共産党は律を除名処分にしていた。街を歩けば、公安警察と思われる男に後をつけられる。
 幼いころから母の言葉と世評の矛盾が頭の中で整理できなかった。「父の記憶は全くなく、親子の感情も持てなかった。ただ、父について猛烈に関心があるのに、意識的にふたをし、考えないようにしている自分もいた。精神的な不感症帯ができあがっていた」と複雑な胸の内を明かす。
 転機は父の帰国だった。関係者を通じ、突如父からの手紙が届いた。家族を代表して北京へ迎えに行き、亡くなるまでの九年間を一つ屋根の下で暮らした。
 「初めて父親を感じた」生活。獄中生活で視力をほとんど失った父の手のひらに文字を書き「お父さん」と伝えた。
 律の思い出については「厳格な人で、人にもその厳格さを要求した。ただブラックユーモアが大好きで、孫をかわいがる好々爺(や)の一面もあった」と振り返った。驚いたのは、すさまじい記憶力。二十九年の獄中生活の記録など、帰国してから膨大な量の手記を書いたが、それは全て自身の記憶による。「不自由な体で国鉄民営化の反対運動に参加するなど、亡くなる直前まで社会変革を信じた人でもあった」
 本書は家族として接した律の知られざる横顔のほか、律生存の一報を聞いて急きょ面会した当時の党幹部・野坂参三とのやりとりなど初めて公になるエピソードも盛り込んだ。「書きたいことは書き尽くした」
 講談社・一九四四円。 (森本智之)
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