日記:「ゴマカシ」「すり替え」「恫喝」で問題の本質をずらしていこうとする輩たち

Resize2792




安倍マリオの予算についてはこれまで言及しませんでした。なぜならその額が高い低いという議論に引きづられてしまい、物事の本質を置き去りにしてしまうからです。
※しかし、どのように根拠づけようとも、日本社会の歪みを正すことなく、という意味では、私自身は、問題のある金額だと理解しております。

しかし、やはり出てきましたね。

その額が米大統領選の予算額より少ないから「問題ないどころか、イケてるぜ」という感でお茶を濁して肯定しようとする意見が拡散していることには驚きを隠せません。

本質とは何か。すなわちそれは「オリンピックの政治利用」ということ。「よくあの金額でエンタメ作ったやんけ」といいましても、問題には何も答えていません。

ごまかされませんよう、ご注意あれ。

一事が万事という言葉がありますが、現状の歪みや生-権力の馴致を告発したり、異議申し立てすると、その問題を正確ではないにしても何となく違和感じてはいるものの、トータルとしての日本社会に波紋を投げかけるなという感覚に押されて、「ガタガタいうな」といって揶揄する−−。それが日本社会のマジョリティの「伝統」ではないでしょうか。その伝統を超克していくことこそ、誰もが輝く社会への一助となるはずです。自分が何に加担しているのかよく理解して言行すべきだと思います。

不正義の告発や異議申し立てに関して、答えるべき責任者は、いつも「ゴマカシ」「すり替え」「恫喝」で対応しております。上が上なら、それにぶら下がる連中も、同じ不正義を受容していながら「ゴマカシ」「すり替え」「恫喝」で応じています。

自らの手で未来の己の生存権をますます狭ばめている状況は、奴隷根性とでも言うほかありません。

安倍マリオに関する雑音だけではありません。次から次へと、本来であれば、言うこと自体が憚れる、プレモダーンな人間を否定する言辞が溢れてきており、それをキャッチアップするだけで1日が終わるほど、現代日本は、急旋回しております。一例をあげれば、芸能人の不祥事をその親が謝り、追求するメディアは、本来追求すべきではない「ペンの力」を発揮しています。その半面、権力への批判は、メディア自体がかつては「第四の権力」と表現されたにもかかわらず、一切スルーという状況。

高校生が貧困の現状を告発すると、政治家自体が「貧困」認定にやっきになります。政治家の役割とは、個人が努力では解決し得ない問題に手を差し伸べることではなかったのでしょうか。

医療安全学会の代議員が、医療事故の遺族を揶揄して「遺賊」と嘯いてみたりもします。モンスターは存在するとしてもそれでレプリゼント出来ない以上、まっとうな感覚であれば個別事象への「批判」は「あり得た」としても2chの書き込みレベルの「揶揄」など「やってはいけない」ことなのに、それを撤回はしません。

例を挙げると枚挙に暇がありません。

「ペンの力って今、ダメじゃん」

一定の知的・社会的責任があるにもかかわらず、こういうことを放置して、何となく権力に擦り寄るって恥ずかしくないんでしょうか。

そういうプレモダーンな雰囲気に迎合して、何か語ったような演出をする姑息な人間になるよりも、職を辞した、馘首になったことを選択します。

まあ、そうなってしまいましたが……。

いずれにしても問題の本質を「すり替え」て、揚げ足をとって問題の本質を曖昧にさせたり、本来であれば、……自粛とは違う意味での……遠慮されるべき暴論、すなわち議論の土台自体や、共同生活としての社会に生きる人間の「倫理」を粉砕するような「息子さんは異常性欲であることを知ってました?」みたいなものを一定の議論と認めるような、マヤカシには、連動したくはありません。






Resize2316