覚え書:「憲法を考える:生存権の魂 東京大学名誉教授・神野直彦さん」、『朝日新聞』2016年06月07日(火)付。

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憲法を考える:生存権の魂 東京大学名誉教授・神野直彦さん
2016年6月7日

神野直彦さん=恵原弘太郎撮影

 6人に1人が貧困層に陥った経済大国ニッポン。三食に事欠く子どもたち。「下流老人」になりかねないと震える高齢者。人間らしく暮らせる生存権を盛り込んだ憲法があって、なぜこんな事態になったのか。欧州の財政や社会保障制度に詳しく、「人間の経済学」を説いてきた神野直彦さんに問題のありかと解決への道を聞いた。

 ――日本国憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権を掲げています。しかし、施行から70年近く経つというのに、実現しているようには見えません。どうしてこんなことになるのでしょうか。

 「まず、国家が国民の生命、生活を守るという考え方がうまれ、現代に至った歩みを振り返りましょう。人権は、言論の自由や思想信条の自由など、権力からの自由を保障する自由権と、欧州で発展した幸福追求の権利である生存権などの社会権に大別されます」

 「国家に実行を求める生存権は、20世紀初頭前後、しきりに主張され始めました。このころ、資本主義の矛盾として長時間労働や失業などの負の側面が目立ち始めたためです。明確な制度として位置づけられたのが、第1次世界大戦後、ドイツのワイマール憲法でした」

 「こうした動きと呼応して、1891年5月、当時のローマ法王レオ13世が『レールム・ノバルム』というメッセージを世界の教会、聖職者たちに向けて呼びかけました。『新しき事柄』とか『回勅』と訳されていますが、20年以上続く大不況で失業と貧困があふれた時代に、社会にどういう取り組みが求められるかを文章として出したものです」

 「副題は『資本主義の弊害と社会主義の幻想』で、貪欲(どんよく)に利益を追求する資本主義の病理は明白だが、かといって社会主義で解決がつくというのは夢物語だ、という趣旨です。このような時代に生存権が唱えられたのは、まさに弊害から具体的に人々を守る処方箋(しょほうせん)だったと言えます」

 「1世紀を経た1991年5月、東西冷戦の終結という、世界史的変化の時代に登場した法王ヨハネ・パウロ2世が新たな回勅を出そうと、私の恩師である経済学者、故宇沢弘文氏を呼んで、現代の課題を問いかけました。宇沢先生の答えは、前回の副題を逆転させた『社会主義の弊害と資本主義の幻想』でした」

 「法王の祖国ポーランドなどの東欧諸国が、社会主義の非人間的な抑圧から解放された途端、何でも競争、何でも市場と言い始め、非常に不幸な状態に陥ってしまったことを憂えたからです。こうした転換期の混乱は、今も続いています」

 ――時代が大きく変化して、旧来の処方箋では効き目が出にくくなったのですか。

 「そうです。19世紀末から、日本で憲法25条ができる20世紀半ば過ぎまで、世界の先進国では産業の主役は鉄鋼、造船など重厚長大型や自動車、電機などの製造業で、担ったのは、専ら筋肉労働を提供できる男性労働者たちでした」

 「彼らは働いた対価として賃金収入を得る一方、主として女性が、家庭にいて子育てや親の面倒などで支えました。仮に、男性労働者が、病気やケガなどで働けなくなり、収入がなくなった場合は、国家や企業が金銭的な補償をして支えるという福祉の仕組みが広がりました」

 ――しかし「ゆりかごから墓場まで」と手厚い社会保障をスローガンにした英国が膨大な財政支出を賄えなくなり、サッチャー政権は福祉に大なたを振るいました。今、日本も高齢化の急速な進展で従来型の福祉を支え続けられるかが疑問です。

 「金銭で補填(ほてん)する型の社会保障が限界に達したのです。それは世界でお金の流れが変わったからです。福祉の財源を集め、必要な人に配分するためには、まず、豊かな人に税金をかけて、貧しい人に給付しなければなりません。お金の流れを国境で管理することが不可欠です」

 「戦後長く、米国のドルを中心に固定相場が維持されるブレトンウッズ体制の下、お金の動きは国境の内側で統制されましたが、70年代後半に体制を支えてきた米国経済にかげりが出て、一気にお金がボーダーを越えて取引されるようになりました。この結果、税金を払って福祉の資金を支えてきたお金持ちたちが、より税金の安い国に資産を移す現象が進んだのです」

 「所得や消費、資産に応じて税金を負担する割合である租税負担率が高い国は経済成長しにくくなる一方、日本のような低い国が成長する時期が一時はありました。しかし、負担が低ければ、結局は財源を国債増発で賄うか、福祉の水準を切り下げるしかありません。その行き着いた先が、財政赤字にあえぐ今の日本です」

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 ――そうなら、弱者にお金を回してきた福祉は先行き真っ暗ということですか。

 「そんなことはありません。北欧諸国では、お金ではなく、サービスの現物給付が充実されました。育児や養老といった福祉分野に加え、旋盤工だった人をソフトウェアのプログラマーに変えていく再訓練、再教育などのサービスが手厚く施されたのです」

 「現物給付なら、嗜好(しこう)品やギャンブルに投じてしまうような浪費は起きません。結果的に財政支出も低くすみます。同時に労働者を高度化させて、産業構造の転換という変化にも対応できるのです」

 ――どういうことですか。

 「20世紀末から、重厚長大型の産業の中心が、中国など新興国に移った一方、日米欧の先進国では知識集約型、情報サービスの分野が目覚ましく拡大しました。通信、パソコンなどの機能が一体となって持ち運べるスマホが各自の持ち物になったのが代表例ですね」

 「こうした産業は、女性の柔軟でしなやかな能力を必要とします。他方、経済のグローバル化が進んで、各種製品の価格の国際競争が激しくなった結果、男性の賃金が抑え込まれて、それだけでは家計を賄えなくなり、一家で働かなければならなくなったことも、女性が家庭から出て働くきっかけになりました」

 「そうなると、従来は主として女性が担ってきた育児や介護を、公的なサービスなどで補わないと家庭が維持できなくなってきます。これに加えて、産業が高度化した社会では、再訓練、再教育されないと雇ってもらえない。高度化した仕事につける人と、そうでない人との間に、賃金などの格差が生じてしまい、そのまま放置するとずっと追いつけないということになる。そして警戒しなくてはならないのは、そのしわ寄せは個人だけではなく、高度化できない国全体に及び、そうした国では経済成長が難しくなるというマイナス面の効果です。現在の日本は、再教育が十分ではないから高度化が遅れているのです」

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 ――政治家や行政は、これまで通り家庭や企業が支える日本型福祉が機能するから、今後も大丈夫だと言っています。

 「政治家は『1億総活躍社会』を唱え『皆さん働きなさい』といっています。現状でそうしたら、お年寄りや子どもの面倒を見る人がいなくなります。今ですら保育所が足りなくて、働く女性たちが負担を感じています。親の介護で離職する人が少なくないのも、日本型福祉が過去のものになった証拠です。家庭や企業を競争の場にさらした先進国では、公的部門が支えなければ、落ちこぼれた人、弱者は市場経済のリスクにさらされ続けてしまうのです」

 ――日本の経済や社会の現状からみて、憲法25条は一人ひとりの安全網にはならないということですか。

 「生存権が戦争直後に盛り込まれたことは画期的でしたが、なにせ『最低限度の生活を営む権利』で、対象も狭く理解されがちです。産業も家庭も、姿を大きく変え、もはや十分にすくい取れません。『日本国は、危機に陥った個人や家族を支援する、国民相互が支え合う社会国家である』といったものに、生存権の内容を進歩、拡充させる必要があります。そうすることで、人間の尊厳と魂の自立が可能になるのです」

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 じんのなおひこ 1946年生まれ。専門はドイツ財政学。税制、社会保障など公共経済の研究を重ね、地方財政審議会会長を務めた。「『分かち合い』の経済学」などの著書多数。

 

 ■条文放置は立法府の怠慢 小池聖一さん(広島大学教授)

 憲法25条は、日本国憲法をつくる過程で、当時社会党選出の衆院議員だった経済学者、森戸辰男が主張して追加されました。連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案にはなかった規定です。

 私は、森戸が初代学長を務めた広島大学に赴任して、彼の業績を深く知るようになりました。

 森戸は第1次世界大戦後のドイツに留学し、そこで生存権を盛り込んだワイマール憲法と出合いました。

 そこには「経済生活の秩序は各人をして人間に価(あたい)する生活を得しむることを目的とし正義の原則に適合することを要す」と書かれています。

 餓死者が出ると恐れられた戦後の食うや食わずの時代、米国が重んじた基本的人権憲法に盛り込んでも、肝心の国民の生命が損なわれてしまっては何にもならない。「最低限度の生活を営む権利」を憲法で保障すべきだ、と考えたのです。

 つまりこの条文は、終戦直後という緊急、特殊な事態を前提につくられたもので、戦後70年もたって、なおそのまま維持されているとは森戸は考えていませんでした。

 当然、その後の発展、変化した経済状況に適した内容の生存権が追求されるべきで、条文も改正されて当然と認識していました。

 いま与野党を含めて、25条の改善が議論の俎上(そじょう)にのっていないのは不思議なことです。あまりに当たり前の内容ですから、誰も疑問を持たないのでしょうか。

 最低限の生存権を守るための、最後の砦(とりで)になっているのはありがたいことかも知れませんが、格差や貧困がはびこっています。

 森戸が生きていたら「世界でも有数の経済大国になり、これだけ豊かさを満喫しているにもかかわらず、25条しか弱者を守るよりどころがないとは、一体どうしたことか」と怒り出したに違いありません。

 森戸たちの世代は、右も左も、議会制民主主義を強めていこうという考えを持つ人たちが多かった。それがいつしか尻すぼみとなり、行政権だけが強まって、本当の意味で、国民の権利を維持、発展させようという政治勢力がなくなってしまった。

 生存権が、終戦直後の状態に放置されているのは、立法権を担う議員たちが怠慢を続けている証左といえるかも知れません。

 (聞き手はいずれも編集委員・駒野剛)

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 こいけせいいち 1960年生まれ。専門は近現代史。外務省を経て2008年から現職。広島大文書館長。
    −−「憲法を考える:生存権の魂 東京大学名誉教授・神野直彦さん」、『朝日新聞』2016年06月07日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12396477.html





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