覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・「保守」の論理:中 近代立憲主義と別の憲法観」、『朝日新聞』2016年06月08日(水)付。
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憲法を考える:自民改憲草案・「保守」の論理:中 近代立憲主義と別の憲法観
2016年6月8日
憲法を本当にわかっているんですか?
保守を自認し、その思想に詳しい佐伯啓思・京大名誉教授に問われ、たじろいだ。自民党の改憲草案について論じる前にまず、憲法観について考える必要があると、佐伯氏は言うのだ。
わが身を振り返れば、憲法の「初体験」は、中学の公民の授業だった。教師から逐条についての解説はあったような、なかったような。テストに備えて前文や条文を丸暗記したものの、大人になったらどこへやら。似たような経験をしてきた人は、世の中に大勢いると思う。
そのような現状への危機感があってのことだろう、日本弁護士連合会は2008年、「憲法って、何だろう?」という子ども向けの絵本を作った。
「憲法は、リーダーを縛るもの」という項目では、「リーダーが決めるルールが『法律』」「リーダーを縛るルールが『憲法』」。柔らかい字体にほがらかな動物の挿絵。「中学で初体験」の私には、なるほどこれが立憲主義かと、ストンとくる。
だが佐伯氏は、このような憲法観は大きな問題をはらんでいるのだと指摘する。
「西洋の憲法は革命的な出来事のなかで作られ、王権との戦いを通じて市民が権利を唱え、近代立憲主義ができた。日本はそれと同じ歴史ではない」
単純化すればこうだ。
今の憲法は市民が作ったものではない。だから、正統性をもたない。
この点については、安倍晋三首相も強いこだわりを見せている。政権奪還を目前にした、総選挙終盤の2012年12月、インターネット番組でこんな発言をしている。「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」
改正草案は、現憲法の全面改正案だ。第2次世界大戦に敗れ、占領軍が我々におしつけたのが今の憲法である。内容以前に「出自」に問題がある。日本人自身の手で書き直さなければならない――。そうであれば本来は「廃憲」を求めるのが筋だが、改正にとどめているのは政治的思惑あってのことだろう。
佐伯氏は、日本人が憲法を考えるなら「近代立憲主義にとらわれない別の憲法観がある気がしている」と話す。その「別の憲法観」とは、歴史的なものをすくい、表現すること。「国柄」を盛り込む自民党改憲草案が、まさにそうであるように。
「国柄」が草案に盛り込まれた理由の一つに、日本の現状に対する「保守」の不安がある。
佐伯氏は「保守」を「家族、地域、友人など、人と人との信頼関係を大事にする立場」と定義する。共同体がこわれ、隣人の顔や名前がわからない都市化への憂い。高齢化が進む社会で、だれが介護を担うのか。「自助、共助、公助」。戦後日本が経済的繁栄の中で手放してしまったものをもう一度、取り戻さなければならない――。
佐伯氏は強調する。「現状を考えれば、護憲はありえない。憲法を捉え直し、考え直す非常によいチャンスだ」
(石井潤一郎)
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12398409.html