覚え書:「【書く人】聖域めぐる時代の欲望『「戦跡」の戦後史』 立命館大教授 福間良明さん(46)」、『東京新聞』2015年09月20日(日)付。

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【書く人】

聖域めぐる時代の欲望『「戦跡」の戦後史』 立命館大教授 福間良明さん(46)

2015年9月20日
 
 世界文化遺産に登録されている広島の原爆ドームは、被爆の惨禍を今に伝え、核兵器の廃絶と人類の平和を願うシンボルだ。しかし敗戦後しばらくの間は、むしろ撤去の対象とされ、地元紙は<都市のドまん中に放置したまま足かけ四年−自分のアバタ面を世界に誇示して同情を引こうとする貧乏根性を広島市民はもはや精算しなければいけない>と書いていた。
 ではどのようなプロセスを経て、原爆ドームは「歴史の証人」としての地位を手に入れたのか。本書は原爆ドームをはじめ、沖縄の摩文仁(まぶに)戦跡、鹿児島の知覧・特攻戦跡について、今日のように多くの人が訪れる聖域になるまでの歴史を丹念に検証した労作だ。
 広島について、福間さんは二〇一一年に出版した『焦土の記憶』のなかで、被爆一年後に開かれた平和復興祭でブラスバンドや花電車が市内を巡回し、演芸大会まで催された様子を詳しく紹介していた。この両書から教えられるのは、現在の常識で過去を見てはいけないということである。
 「おぞましい記憶をフラッシュバックさせる巨大な遺構を視界から除去したいという当時の人々の気持ちは理解できます。それは八月六日のお祭り騒ぎにもつながっている。今の価値観で、それはおかしいと言っても、見えるものが見えなくなるだけではないか」
 原水爆禁止運動などを背景に、原爆ドームの保存運動が活発化するのは一九六〇年代になってから。倒壊を目前にしたドームの補修工事は六七年に完了する。
 メディア史と歴史社会学が専門の福間さんが戦跡に関心を持つようになるのは、『焦土の記憶』の資料収集のために広島や沖縄へ通い、そこで違和感を覚えたのがきっかけという。
 「例えば沖縄の摩文仁丘には多数の慰霊塔があり、都道府県別に戦没者が祀(まつ)られているが、沖縄で亡くなった人の数はわずかで、南方戦線での戦没者が圧倒的に多い。調べていくと、祖国復帰運動が盛り上がるなかで次々に塔が建てられ、戦跡観光が加速していった歴史が見えてきます」
 戦跡とはそこにあるものではなく、創られるものなのだ。福間さんは「重要なのは、その時代その時代のどのような意図と欲望によって戦跡が発見され、あるいは消えていったかということだと思う」と話す。岩波現代全書・二七〇〇円。
 (後藤喜一
    −−「【書く人】聖域めぐる時代の欲望『「戦跡」の戦後史』 立命館大教授 福間良明さん(46)」、『東京新聞』2015年09月20日(日)付。

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