覚え書:「文豪の朗読 小島信夫「肖像」 いとうせいこうが聴く [文]いとうせいこう(作家)」、『朝日新聞』2016年09月18日(日)付。

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文豪の朗読
小島信夫「肖像」 いとうせいこうが聴く
[文]いとうせいこう(作家)  [掲載]2016年09月18日

小島信夫(1965年撮影)
 
■リスナー惑わす、入れ子構造

 小島信夫(1915〜2006)というのはまことに奥行きの不思議な作家で、『小島信夫短篇集成』の中にも私自身解説を書かせていただき、特に『郷里の言葉』という作品について、言葉そのものを彼が多重に受け取る傾向を持っていた可能性を考えたことがある。彼の郷里・美濃では注意深くしていないと、誰かによる他人への皮肉が、油断していると聞く自分を含んでいることがあると言うのだ。
 その『郷里の言葉』への参照もある『肖像』という短編を、小島は日本近代文学館のイベントで、“朗読”している。
 小島文学を愛する人々を相手として、しかし作家はまったく陶酔しない。そもそも解題という目的があったにせよ、そのいかにも解説的な読み方には自意識への注意深い抑制がある。油断すると皮肉られる「郷里の言葉」が小島を冷静にするかのようだ。
 ただし、読まれる『肖像』はそれ自体が“作家が読者たちの前で質問を受ける”構造になっている。その構造の入れ子として小島は実際に文学館で、読者を前にその作品を読む、解説する。小説内に出てくる「私」はこの「私」と受け取ってくれていい、そういうトリックの中で作品は書かれていると言いながら。
 聞くうちに私たちリスナーは、冷静な小島の解説口調がどこまで『肖像』を読んでいるのか、それとも作品に付け加えられた解説かを見失う。虚構だと言われた作品の中の「私」の口調までもが、今現在声を聞いている小島信夫の解説的な冷静さを帯び、小説内の人物たちの距離感がユーモラスに狂ってくる。
 おまけに、小島は自作を読みながらさかんに文字を付け足したり、言い換えたりしてしまう。つまり作品は新しく生成される。
 後半、声は急に解説調をやめ、作品内に没入する。小説の構造をすべて説明し終えたあとである。小島信夫はこうしてメタレベルから解読したくなる朗読を自然に行う。
 小島文学の仕掛けと時制の歪(ひず)みと冷静さは、すべてこの“食えない”朗読にあらわれている。

◆今回は、日本近代文学館の「第1回 声のライブラリー」(95年5月13日、石橋財団助成)の音声を元にしています。朗読映像は同館で閲覧可能です。

■聴いてみる「朝デジ 文豪の朗読」
 朝日新聞デジタルでは、本欄で取り上げた文豪が朗読する肉声の一部を編集して、ゆかりの画像と共に紹介しています。基本的には「月刊朝日ソノラマ」誌の1960年代の音源を使用していますが、今回は例外です。「ソノラマ」誌の録音にまつわるエピソードも紹介しています。特集ページは次の通りです。
 http://www.asahi.com/culture/art/bungo−roudoku/
    −−「文豪の朗読 小島信夫「肖像」 いとうせいこうが聴く [文]いとうせいこう(作家)」、『朝日新聞』2016年09月18日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/column/2016092300003.html


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