覚え書:「フロントランナー:子どもの権利活動家、カイラシュ・サティヤルティさん 児童労働の根絶をめざし闘う」、『朝日新聞』2016年6月25日(土)付土曜版be。

Resize3390

        • -

フロントランナー:子どもの権利活動家、カイラシュ・サティヤルティさん 児童労働の根絶をめざし闘う
2016年6月25日

講演会に集まった子どもたちの輪に入り、自身のスマートフォンでカシャ! あっという間にみんなと打ち解けた=宮城県山元町
 綿花畑、カカオ農場、鉱物の採掘現場、カーペット工場……。学校にも通えず、こういった場所で働く子どもたちは、世界に1億7千万人もいるという。

(フロントランナー)カイラシュ・サティヤルティさん 「児童労働は我々全員の責任なのです」
 インドを拠点に、抑圧された子どもたちを救い、社会復帰を助けている。1998年には、児童労働に反対する「グローバルマーチ」を呼びかけ、世界中で計約720万人もの行進に結実した。

 それは世論や国際政治をも動かし、翌年、国際労働機関(ILO)が、児童労働の防止に関する条約を採択した。

 救出した子どもは8万5千人を超える。2014年、パキスタン出身のマララ・ユスフザイさんとともにノーベル平和賞を受賞。

 今も年に3分の2は海外を飛び回り、今年5月には、児童労働の根絶に取り組む日本のNPO法人、ACE(エース)の招きで来日した。

 そもそも児童労働に疑問をもったのは、小学校に入学したてのころだった。学校のそばで、幼い少年が父親とともに靴磨きや修理をしていた。勇気を出して、少年の父に聞いてみた。「その子を学校に行かせないの?」

 すると、彼は驚いた様子でこう言ったのだ。「私も父も祖父も、子どもの時から働いていたから。この子もそうしているだけだ」

 衝撃だった。いつまでも忘れられず、電気系の大学を卒業して技師となり、大学でも教えていたのに、児童労働と闘うことを決意。まずは、この問題を世間に広く知らせようと、雑誌を発行し始めた。

 2カ月ほどたった時、れんが工場から、男性が駆け込んできた。だまされて連れていかれ、給料ももらえず、監禁同然で働かされたという。「工場で生まれ育った15歳の娘を、ボスが売春宿に売ろうとしている。助けて!」。命がけで脱出してきたのだった。

 (文・秋山訓子 写真・越田省吾)

 ★1954年、インド中部生まれ。大学を卒業後、電気技師を経て80年、児童労働の根絶に取り組むNGOを設立。98年には世界各地で、「児童労働に反対するグローバルマーチ」を実現し、今は主催団体の名誉代表。2014年にノーベル平和賞を受賞した。息子は弁護士で事業を手伝う。厳格なベジタリアン

     *

 Kailash Satyarthi(62歳)

 (3面に続く)
    −−「フロントランナー:子どもの権利活動家、カイラシュ・サティヤルティさん 児童労働の根絶をめざし闘う」、『朝日新聞』2016年6月25日(土)付土曜版be。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S12423051.html

        • -

フロントランナー:カイラシュ・サティヤルティさん 「児童労働は我々全員の責任なのです」

カイラシュ・サティヤルティさんは、講演を聴く人たちに問いかけ、返事を促し、一体感を醸し出していく=仙台市青葉区
 (1面から続く)

 「娘が売春宿に売られる?」

 児童労働との闘いを始めたカイラシュ・サティヤルティさんは、工場から逃げてきた父親の話を聞き、いてもたってもいられなくなった。

 「これが自分の娘だったら……。今すぐ動かなければ」。友人らと救出に向かった。結局、娘は取り戻せず、父親は再びとらえられた。だが弁護士と力を合わせ、36人を解放することができた。

 以降、本格的な救出活動に乗り出す。1980年、26歳でNGOの「BBA(子ども時代を救え運動)」を創設。86年、インドで不当な労働を禁じる法律ができた後も、粘り強く法の改善を訴え、悪質な業者らが数多く逮捕されるようになった。

 ■暴力にもひるまず

 だが、救出には危険が伴う。友人2人は撲殺され、自身も何度か命を落としかけている。

 10年ほど前のこと。ネパール人の両親が「インドのサーカスで、娘が働かされている」と、救いを求めてきた。ようやく場所を割り出し、弁護士の息子らと一緒に踏み込んだが、頭に銃をつきつけられた。

 一瞬の隙をついて逃れたが、敵も味方もなだれ込んで大混乱に。めった打ちにされ、倒れたところを、通りかかった人が病院に運んでくれた。意識を取り戻した時は、サーカスの一味が逃げた後だった。地元の警察もまったく頼りにならない。

 そこで、ハンガーストライキを決行。できごとや経緯がテレビで連日放映され、ネパールでデモが起き、インド大使館に人が押し寄せた。

 ついに司法当局が乗りだし、24人の少女が解放された。その時のけがが原因で、今も左腕は十分に上がらない。

 「ベッドの上で死ぬぐらいなら、地面で、大義のために死にたい。人は必ず死ぬのだし、危険が大きいほど、得るものも大きいから」

 物腰は柔らかいが、妨害や暴力にひるまない強さがみなぎる。

 ■夢と行動を促す

 劣悪な環境から救い出した子どもたちの方は、おびえと不安の中で、なかなか心を開けない。地べたにしか座ったことがなく、いすに座ることすら怖がる子もいる。

 保護施設の職員が、ゆっくりと時間をかけて話しかけ、いっしょに食事をし、彼らの故郷の歌を口ずさむ。施設に以前からいる子どもたちが、寄り添うことも多い。

 「彼らは同じような体験をしているから、より早く通じ合えるんです」と、サティヤルティさん。子どもは、安全な場所に来たと分かったとき、心を解きほぐす。「自由の笑みをうかべたその瞬間が、私を利己心や痛みから解放してくれます」

 子どもとはすぐに友達になる。来日中も、東日本大震災で被災した宮城県山元町の子どもたちと、あっという間に打ち解けた。日本語を話せるわけではないのに。

 「思いやりと愛が言葉ですよ。口から発する言葉よりも、何百倍もパワフル」と笑う。アフリカでも南米でも、子どもたちが寄ってくる。

 講演でも、聴衆に語りかけ、返事を促し、盛り上げていく。大きなステージでも観客に背中を向け、タブレット端末をかざし、観客とともに「自撮り」した。「いつでもみんなと一体感を感じ、一緒に歩いていきたいからね」

 日本の人々に訴えたいのは、児童労働は決して遠い貧困地域の問題ではなく、日常生活とつながっているということだ。

 「サッカーボールやおもちゃ、くつ、チョコレート。ふだん使っているものが児童労働でつくられているかもしれない。同時代に生きる我々全員の責任なのです」

 児童労働を使わないで作られているチョコレートを食べ、サッカーボールを買う。暮らしの中から変革は起こせる、という。

 1994年には、児童労働を使っていないなど、一定の条件をクリアした業者の証明として、「Good Weave」というラベルを、カーペットに貼って売れる制度を創設した。これがアジアや欧米の消費者の行動を変えた、という実績がある。

 「どうやったら、そこまで強い思いを育てられるのですか」。来日中の講演で問われ、こう答えた。

 「あなたはすでに強い。唯一の違いは、その強さを自身のためだけに使うかどうか。もしそうなら、世界は救われない」

 講演の中ではいつも、「三つのD」を促している。ドリーム(夢)、ディスカバー(発見)、ドゥ(実行)。「大きな夢をもってほしい。自分の力と、何か周囲にできることを見つけて。そして行動を起こして」

 自身が実践してきた生き方でもある。

 ◆次回は、パリを拠点に国際的な活躍をしている若手建築家、田根剛さんの予定です。
    −−「フロントランナー:カイラシュ・サティヤルティさん 「児童労働は我々全員の責任なのです」」、『朝日新聞』2016年6月25日(土)付土曜版be。

        • -

http://www.asahi.com/articles/DA3S12423117.html



Resize2851