覚え書:「今こそスタニスワフ・レム:絶対的他者、『ソラリス』で描く」、『朝日新聞』2016年06月27日(月)付。

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今こそスタニスワフ・レム:絶対的他者、「ソラリス」で描く
2016年6月27日

スタニスワフ・レム=1995年、沼野充義さん提供
 人は「理解しえない他者」とどう向き合うのか、懐疑的精神で考え続けた。

 人は「未知なる存在」に出会ったとき、どうふるまうのか、ふるまうべきなのか。答えを知りたいとき、没後10年を迎えた作家スタニスワフ・レムの小説は多くのヒントを与えてくれる。1950年代末から60年代にかけて発表されたSF三部作では、宇宙を舞台に理解不能な「他者」と人類との遭遇を描いている。

 代表作「ソラリス」(61年)の他者は、同名の惑星の表面を覆う海。降り立った心理学者の前に次々と不思議な現象が起きる。海の意思によるものとしか思えないが、意思の疎通を図ろうとしても、全くとりつくしまはない。

 「エデン」(59年)では未知の生命体、「砂漠の惑星」(64年)では虫のような機械が集まった黒雲が現れる。作中人物たちは、ある時は最新兵器で戦い、ある時は意思疎通の手段を模索する。しかし、人類の勇気も知性もことごとく無力化されてしまう。

 「宇宙で出会う他者といえば定番は化け物や異形の人間でした。一方、レムは知的な意識を持っているのかどうかもはっきりしない、絶対的他者を好んで描いた。彼の出自が少なからず影響していると思います」と、日本のレム研究の第一人者、沼野充義・東京大教授は話す。

 レムはユダヤ系の医師の家に生まれた。出身地ルブフは19〜20世紀、ポーランド、ロシア、ドイツ、ウクライナなど、めまぐるしく帰属する国が変わった。宗教も政治体制も異なる国々により、国境線が何度も書き換えられた。

 「自分と異なる他者が現れては消え、確実なものなど何一つない状況のなかで育った。しかし、レム自身は他者に対して殲滅(せんめつ)しようとか、背を向けようとは考えない人だった。戸惑いながらも、自らを他者に向けて開いていこうと考えるんです」

 レムの作中人物たちは、理解できない他者に対するうち、次第に自分たちの文明や文化、とりわけ科学的精神に基づいた理性に懐疑的な考えを持ち始める。読み手もまた、読み進めるうち、自明のものと思っている常識を揺さぶられることになる。

 芥川賞作家の円城塔さんは言う。「レムは科学に対する目端が正確。常に最新の科学や歴史認識に目配りをして、そのなかで人間ドラマを描く。SF作家が思いつきそうなことはたいてい書いている手塚治虫みたいな人です」

 SF作家の枠にはめられがちなレムだが、膨大な著作のなかには諧謔(かいぎゃく)や機知に富んだ短編、膨大な科学知識に基づいた実験的な小説も多い。

 たとえば、「ゴーレムXIV」(81年)で語られる人工知能(AI)講義では、AIが自ら学習することで人類の知性を軽く超えてしまうという、IT界の流行語「シンギュラリティ」(技術的特異点)そのままの解説が登場する。最近でも、AIが囲碁の世界的トップ棋士を破って話題になったばかりだ。

 円城さんは「ソラリス」の海について、「自然法則、政治、イデオロギー、思想、いろんな隠喩にとれる。人間が理解しきれないものに囲まれて、個人が内省的に苦しむのは、現代でも色あせないテーマです」と話す。

 確かに、日本列島に頻発する地震活動や世界各地で勃発する民族紛争など、私たちの周りには理解できない他者があふれている。「ソラリス」という作品もまた、その一つかもしれない。A・タルコフスキーとS・ソダーバーグが、この同じ原作を全く趣の異なる映画にしたように、読み手の理解によって様相を変える豊潤な海なのだ。

 (野波健祐

 <足あと> Stanislaw Lem 1921年、旧ポーランド領ルブフ(現ウクライナ領)生まれ。大学時代から小説や詩の執筆を始め、51年の「金星応答なし」で作家デビュー。地球外生命との接触を描いた三部作のほか、「完全な真空」「虚数」といった実験的作品、科学技術の未来を論じた「技術大全」など、晩年まで健筆をふるった。ポーランドでは2005年に全33巻の全集が刊行されている。06年死去。

 <もっと学ぶ> 全6巻の「スタニスワフ・レム・コレクション」が国書刊行会から刊行中。特に「短篇(たんぺん)ベスト10」は、ユーモアや実験精神など、レムの多面的な魅力がうかがえる格好の入門書。

 <かく語りき> 「ある事実を地球から持ちこんだパターンにはめこむことによって、重大な誤謬(ごびゅう)を犯さないともかぎらない」(「エデン」から)

 ◆過去の作家や芸術家らを学び直す意味を考えます。次回は7月4日、ロシア語通訳者・作家の米原万里の予定です。
    −−「今こそスタニスワフ・レム:絶対的他者、『ソラリス』で描く」、『朝日新聞』2016年06月27日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12429381.html


 


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