覚え書:「怒ってみたら… 女性参政権から70年:6 人任せの意識、捨てよう」、『朝日新聞』2016年07月08日(金)付。

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怒ってみたら… 女性参政権から70年:6 人任せの意識、捨てよう
2016年7月8日

佐藤きよ子さん
 
 ■初の女性国会議員、佐藤きよ子さんに聞く

 70年前の衆院選で初めて誕生した女性国会議員は39人いた。今も健在なのは1人。兵庫県宝塚市の佐藤(旧姓三木)きよ子さん(97)だ。政治と女性への思いを聞いた。

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 「女性が世の中に堂々と意見を言えるんだと、体中の血がたぎるほど興奮しました」

 26歳で迎えた終戦の年、女性参政権が認められると新聞で知ったときの気持ちを、佐藤さんはこう振り返る。

 1919(大正8)年、大阪市生まれ。生後半年で父を亡くした。5人きょうだいを一人で育てる母の苦労を感じ取り、小学校高学年のころには質屋通いを率先して手伝った。だが、兄が悪くても叱られるのは自分だった。20歳すぎに喫茶店を開き、家計を支えた。若い女性経営者に警察は「あんたで大丈夫か」。店員からはきつく当たられた。

 46年、女性が参加できる初の衆院選。大阪の女性の動きは鈍かったといい、「女性たちの目を覚ましてやる」と立候補した。公約は「食料の確保と畳3畳の住まい」。街には戦争で焼け出された人がたくさんいた。「家族を背負って働いてきた自分だからこそ掲げた具体的な約束だった」と話す。定数7に81人が立つ激戦の大阪1区で当選した。

 食料確保の要請や生活保護法の制定に取り組んだ。選挙法改正に伴い行われた翌年の選挙で落選。1年の議員生活で違和感として残ったのは、様々な業界からの接待だ。毎日のように一流料理屋へ招かれた。「食べるものにも困る時代だったのに、おかしい」

 政界を退いた後は日照権を守る運動に取り組んだ。10年ほど前からは、路上生活者への支援活動に携わる。

 女性参政権から70年。女性の声は政治に届くようになったのか。佐藤さんは「女性の声を吸収しようとする議員の姿勢や社会の仕組みが欠けている」と首を振る。「長い歴史を変えるのだから時間はかかる。でも、一人ひとりの考えで社会は変わっていく。誰かがやってくれるという人任せの意識を捨て、責任を自覚してほしい。今の社会は、誰かのせいではありません」(田中陽子

 =終わり
    −−「怒ってみたら… 女性参政権から70年:6 人任せの意識、捨てよう」、『朝日新聞』2016年07月08日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12448154.html





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