覚え書:「書評:〆切本 左右社編集部 編 」、『東京新聞』2016年10月09日(日)付。

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〆切本 左右社編集部 編 

2016年10月9日
 
◆言い訳にも文学の豊かさ
[評者]池内紀=エッセイスト
 ふつう生産者と消費者のあいだに取り次ぎがいて、納期をきめる。会社に「納期厳守」のビラが貼ってあったりする。守れないと迷惑をかけ、たびかさなると、取り次ぎに愛想づかしをされる。これが社会のルールである。
 文学の場合、生産者は書き手、作家、物書き。読者が消費者で、取り次ぎは編集者。納期はしめ切り。「〆切」などとヘンな文字をあてたりする。
 時がたち、日が過ぎて、やがて約束の〆切日。まにあわない、遅れそう、まだ仕上がらない−このあたりは御の字といわなくてはならない。〆切がきて、やっと取りかかった。この場合も上々のケースである。まるきり手をつけていない。ハナから忘れていた。催促されると謝るどころか逆に怒り出す。これさえもまだ可愛(かわい)い。では、どのような事態がもち上がるのか。
 おかしな、不思議な、とてもたのしい〆切文学のアンソロジーである。たぶん世界に二つとないだろう。通常の生産の場合はビラ一枚ですむことが、文学では千変万化する。急に胃のぐあいが悪くなって頭痛が始まるのは肉体的反応だ(寺田寅彦)。にわかにおのれの遅筆について考察を始め、一つ一つ根拠をあげていく(谷崎潤一郎)。
 「自分の文章をひさいで、お金を儲(もう)けるとは、なんという浅間(あさま)しい料簡(りょうけん)だろう」(内田百〓)
 「正直な話、私は毎日、イヤイヤながら仕事をしているのである」(遠藤周作
 この期に及んで反省されたり、告白されても困るのだが、〆切がくると、きまって思索型に変身する。どこまでが現実で、どこからがフィクションなのか、その境目がわからない。
 さらに不思議でおかしいのは、泣きベソをかきつつも、編集者が少なからず〆切破りをいとしんでいることだ。実際、名作の多くは常習犯の手から生まれた。納期が文学性をおびて、モノガタリになる。〆切には文学の豊かさが鉱石のように埋もれている。
 (左右社・2484円)
 筆者はほかに夏目漱石太宰治長谷川町子井上ひさし村上春樹ら計90人。
◆もう1冊 
 福元一義著『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(集英社新書)。推敲(すいこう)・描き直しなど、編集者泣かせの漫画家の知られざる逸話。
※〓は、門構えに月
    −−「書評:〆切本 左右社編集部 編 」、『東京新聞』2016年10月09日(日)付。

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