覚え書:「耕論 瀬戸際のリベラル 浅羽通明さん、五野井郁夫さん」、『朝日新聞』2016年07月16日(土)付。

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耕論 瀬戸際のリベラル 浅羽通明さん、五野井郁夫さん
2016年7月16日

 参院選の結果、自民党公明党を含む改憲勢力が、衆参両院で3分の2を占めることになった。それは、民進党などリベラル勢力がかつてないほど縮小したことを意味する。リベラル退潮はなぜここまで進んでいるのか。再生の道は。

 ■まず敗北直視し絶望せよ 浅羽通明さん(著述業)

 参院選の半年前から勝負は見えていました。野党、いわゆるリベラルに勝ち目は全くなかった。

 まず、民主党があの時期に党名を変えるなど言語道断です。合同相手の維新の党つまり内輪への気遣いを、民主党という慣れ親しんだ名前の方が混乱しないという有権者側の目線よりも優先した。

 候補者を一本化した野党共闘が評価されています。路線や過去の確執を超えたといえば聞こえはいいが、リベラルがそこまで切羽詰まった証しともいえる。昭和の社会党は惨敗すると左派と右派が接近し、議席を増やすとまた対立した。どちらも大きな目標を共有した大同団結ではなかったのです。

 民主党が圧勝した2009年総選挙では「政権交代」という大きな目標=目玉商品がありました。でもあれが使えるのは一回限り。

 以降、リベラル野党はずっと自公政権の後手後手に回っている。「ダレノミクス?」なんてCM一つ見ても顕著でしょう。すべて「安倍」を前提にしないと何も打ち出せない「アベ依存症」です。ライバルだけ見ているから、国民=顧客が何を望んでいるのかがさらに見えなくなってゆく。改憲など国民の大多数からすれば優先順位の低い観念的課題なのに。

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 思えば明治の昔から、日本のリベラル勢力は、有権者と向き合った等身大のところからビジョンや政策を立ち上がらせる姿勢に乏しい。ボトムアップが少なすぎる。

 リベラルの提言は、二大政党制とか「デモのある社会」とか、いつも外国にあるお手本を持ってきて振りかざす。トップダウンなのです。要は上から目線の秀才たちが左翼やリベラルとなり、欧米を追い風に自らを支えてきたわけ。

 終戦後、占領軍による民主化日本国憲法という予想外に強い追い風を得た彼らは、ずっとその残光にすがってサバイバルしてきました。与党を攻撃するにも、ただただ「違憲!」という葵(あおい)の御紋を突きつけるワンパターンへはまっていった。楽ですが、思考停止です。憲法に頼ってばかりだと、経済や安全保障の現実的政策を生みだす能力が劣化してしまう。

 「どうすれば安倍に勝てる?」などという近視眼ではもう敗れている。少なくとも来たるべき小泉進次郎政権をどう迎え撃つかくらいの超長期的な展望がなくては。

 いま確実に予測できるのは、団塊世代の要介護者が急増する2025年問題です。自民党は経済成長で乗り切るというが難しい。考えるだに恐ろしい未来だから、与野党ともまず触れません。だからこそ、ここなら先手が取れる。「もう成長なき社会を前提に再分配するしかない。相続税累進課税を強化して富裕層から取りますから、消費税アップも認めて!」と訴えれば説得力ありますよ。次世代は負担も増えるが、進む人口減少の下、空き家増加などで家賃が安くなるかもしれない。そんな未知の明日を十分繰りこんで、安倍政権が安定している間にじっくり構想を育てるのです。

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 同時にリベラルは、「どぶ板」の地盤を気長に立て直さなくちゃ。有権者の多くは「政策に」ではなく、「お世話になっている先生だから」投票する。09年の民主党勝利も小沢一郎氏のどぶ板選挙が支えた。今回の参院選も労組や業界団体が推す候補が強かった。共産党の手堅い支持層も、医療関係などの地道な「お世話」で信頼を培ってきた成果でしょう。

 超長期構想と地道な地盤作り。そのためにはまず、リベラル野党が、とことん絶望する必要があります。それなのに民進党岡田克也代表は「3年前と比べると、よくぞここまでという気持ちもある」などと、敗北を全く直視せず現実逃避している。他人から見たら体形なんて変わらないのに、「ダイエットで3キロやせた!」とはしゃぐ人みたい。まずこの甘えぶりに絶望してほしいですね。

 (聞き手・尾沢智史)

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 あさばみちあき 59年生まれ。著書に「『反戦脱原発リベラル』はなぜ敗北するのか」「天皇反戦・日本」「昭和三十年代主義」「右翼と左翼」など。

 

 ■「食える生活」訴え、再起を 五野井郁夫さん(高千穂大学教授)

 安倍政権はいずれ終わります。どこかの国のような独裁政権にはなれないし、半永久政権にもなれない。時間が経てば若い世代が勝つ。なので、自民の後継者たちにとってやりやすい足場を作らせないことが、これからの野党の側、リベラルの側がすべきことです。

 野党共闘は一定の成果をあげました。否定的に見る人もいますが、過去に争っていた同士がすぐにうまくはいかない。私が見る限り、各地の選挙区で10代から30代の市民が共闘を働きかけたのも大きい。長い目で見るべきです。

 今回の参院選を含め、最近の国政選挙で自民が連勝しているのは、低投票率に加えて「経済や生活を良くしてくれそう」だから。その点で「野党よりは良さそう」と投票した人は多いでしょう。

 だけど、人びとの暮らしが現状、楽になっているわけではありません。目に見えて食べられない人たちが出てきている。国連児童基金の報告によると、日本の子どもの貧困格差は先進41カ国で34位と深刻です。幼い子がティッシュペーパーに塩をかけて口にしている、などという痛ましい記事もありました。生活苦から無理心中を選ぶ事件も多発しています。

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 生活が苦しいにもかかわらず、人びとが政府に対して怒らないのはなぜか。それは「自分のせい」と思っているからです。「自己責任論」が叫ばれたことがありました。それにまだとらわれている。

 自分の生活が苦しいのはちゃんと貯蓄をしてこなかったから、仕事が見つからないのは努力が足りないから、お金がなくて子どもが学校に行けないのは私たち親のせい……。全部違いますよね。安心して暮らせる社会を作るのは政府の責任です。「自分のせい」と思っている人がいたら、それは間違いだと知らせてあげてください。

 アベノミクスの実感がないという人は多い。でも「生活が苦しい自分」を代表してくれそうな政党、投票したい政党がない。それも実感でしょう。野党は、リベラルの側は、どこが足りなかったのか。「生活が苦しい我々」のために有効な政策を打つ党だということを十分に示せていなかった。野党は、ここから変わってほしい。

 9条を守ることも、立憲主義を壊すなと言うことも、もちろん大事。でもそれだけでは貧しい人たちはメシが食えない。「食えるだけの生活がしたい」というぎりぎりの訴えに応えるのが、リベラルの本来の強みだったはず。それなのに「この政党が勝てば少なくとも食べていける」と思わせる政党が今の日本に出てきていません。

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 政府の責任を問う。注文する。たとえばエキタス(ラテン語で公正や正義)という、学生や労働者の新しいグループがあります。昨年9月から路上での活動を始め、都内では2千人近くが参加しました。日常の生活を良くしようと、「最低賃金を1500円に上げよ」「中小企業に税金を回せ」などと訴えている。人間らしい生活がしたいという切実な要望です。

 「経済を良くします」「景気を回復させます」だけではだめ。具体的な成果がほしいというのが彼らの主張です。米国大統領選挙で旋風を生んだ、サンダース候補の支持層と通じるものがあります。

 生活感の薄い旧来の護憲リベラルではなく、より生活の実感のあるリベラル。こうした動きが、復活の鍵を握ると私は見ています。

 今回負けたからといって、これで終わりではありません。もし改憲されたら? 変えられたら、変え直せばいい。自民の改憲草案では改正の発議要件が緩和されています。なのに、腹をくくれないのが今までのリベラルの弱さです。

 最近、まっすぐな心の若者たちが出てきた。早ければ数年後、遅くとも20年後には、この国の政治に大きな影響を及ぼすでしょう。希望の芽は育っているので、私は未来に悲観はしていません。

 (聞き手 編集委員・刀祢館正明)

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 ごのいいくお 79年生まれ。政治学、民主主義論。路上の人びとの政治参加に注目している。著書に「『デモ』とは何か」、共著に「リベラル再起動のために」など。
    −−「耕論 瀬戸際のリベラル 浅羽通明さん、五野井郁夫さん」、『朝日新聞』2016年07月16日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12462723.html





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