覚え書:「今こそヴォルテール 寛容は「多様性への評価」」、『朝日新聞』2016年07月18日(月)付。

Resize3651

        • -

今こそヴォルテール 寛容は「多様性への評価」
2016年7月18日

ヴォルテール肖像画
 フランス王政下の不寛容な時代に、狂信に対抗しうる「人間の理性の力」を説いた。

 新聞社が襲撃されたシャルリー・エブド事件後のフランスで、ヴォルテールが再読されている。昨年から相次いで、新装版が出版された。

 パリ在住の作家、川島ルミ子さんは言う。「自由・平等・友愛を掲げ、多様な宗教や習慣の人たちが暮らすフランス。異なる思想を受け入れる精神の強さは、生きる上で欠かせない」。その姿勢を守り続けられるのか。命を奪うテロが許されないのは当然だが、自らの足場もまた、あらためて問われているという。

 ヴォルテールが『寛容論』を書いたのは18世紀の中ごろ。新旧キリスト教の対立を原因とする悲惨な冤罪(えんざい)事件に衝撃を受け、思想や信条の違いを乗り越える普遍的な価値を説いた。理性の力こそが狂信に対抗しうるとする強い信念は、後のフランス革命にもつながる。

 日本でも新訳が出た。解説者で元富山国際大学教授の福島清紀さん(67)が指摘するのは、日本語の「寛容」と原語の「TOLERANCE」(トレランス)との語感の違いだ。日本では「広い心」「やさしさ」といったニュアンスが強いが、欧州では「耐える力」「黙認」「多様性への評価」などの意味を持つという。

 背景に、苦難の歴史がある。「当時は異端を許さない『不寛容』にこそ価値が置かれた。『寛容』は悪をだらしなく容認するものとして非難された」と福島さん。それが悲惨な差別や迫害につながったという。

 ヴォルテールが挑んだのが、この価値転換だ。著書にこうある。「不寛容を権利とするのは不条理であり、野蛮である。それは猛獣、虎の権利だ。いや、もっと恐ろしい。われわれ人間はほんのわずかの文章のために、たがいに相手を抹殺してきた」

 もし日本人が中国人を憎み、中国人がタイ人を憎悪し、タイ人がインド人を迫害したら……人はどうなるか? 激しい筆致でヴォルテールは問うた。

 「そこで重要なのは、ヴォルテールが『寛容の敵』には寛容でなかったこと」。不寛容に立ち向かう不寛容については、やむを得ない対抗原理として認めたと、福島さんは強調する。そして、もう一つの大切なこと。「ヴォルテールは決して、ムハンマドを冒涜(ぼうとく)はしなかった」

 事件後、フランスでの抗議デモに「私はシャルリー」のプラカードが登場した。だが、家族人類学者のエマニュエル・トッド氏は、この抗議デモを「自己欺瞞(ぎまん)的な排外主義」と糾弾する。「私はシャルリーではない」と訴える対抗運動も展開されている。

 そして日本。ヘイトスピーチ性的少数者への偏見など、排外的な動きが問題になる。危機感を抱く作家の北原みのりさん(45)は、ヴォルテールについて考えてきた。「でも、きちんと理解されているかなあ」と、ぽつり。

 欧州では、不寛容がもたらす悲劇を乗り越えるための原理として、寛容が唱えられた。「だけど日本では、物事を突き詰めて考えてこなかったことこそ問題。何でも水に流し、うやむやにする」

 慰安婦問題などで危惧するのも、この「水に流せ」という圧力だ。まるで和解こそが最善であるとでもいうような押しつけの空気を感じる。「でも米国の横暴には甘い」と北原さん。寛容の敵に対する態度は、あいまいだ。

 寛容は、長く苦しい不寛容の歴史の上で、本来の輝きをもつ。ところが私たちは、そもそも「不寛容とは何か」を突き詰めていない。寛容の敵には敏感でいたい。(伊藤隆太郎)

 <足あと> Voltaire 1694年パリ生まれ。英国の哲学者ジョン・ロックらと並ぶ啓蒙(けいもう)思想家。本名はフランソワ・マリー・アルエ。青年期には専制政治を批判し、バスチーユ牢獄に投獄された。主著『寛容論』は1763年に匿名で出版し、後に著作集へ収めた。78年、83歳で死去。

 <もっと学ぶ> 『寛容論』の日本語訳は、1970年、現代思潮社から刊行され、2011年に中公文庫へ収められた。新たに16年5月、光文社古典新訳文庫で登場。ほかに、亡命先から友人にあてた『哲学書簡』(岩波文庫)など。

 <かく語りき> 「自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない」。主著『寛容論』で、自然の法と人間の権利のどちらにも共通する大原則として、挙げた。
    −−「今こそヴォルテール 寛容は「多様性への評価」」、『朝日新聞』2016年07月18日(月)付。

        • -





http://www.asahi.com/articles/DA3S12466482.html

Resize3627

Resize2997



寛容論 (中公文庫)
寛容論 (中公文庫)
posted with amazlet at 16.10.27
ヴォルテール
中央公論新社 (2011-01-22)
売り上げランキング: 72,190