覚え書:「にっぽんの負担 公平を求めて 終末期医療、本人の意思は」、『朝日新聞』2016年08月12日(金)付。

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にっぽんの負担 公平を求めて 終末期医療、本人の意思は
2016年8月12日 

患者が救急搬送され、対応にあたる当直の医師たち=7月、東京都墨田区の都立墨東病院
 
 東京都内有数の救命救急センターを抱える都立墨東病院(東京都墨田区)。7月下旬の夜、88歳の男性が特別養護老人ホームから救急搬送されてきた。救急隊が着いた時にはすでに心肺停止状態。慢性の重い心臓病を患っていた。

 蘇生には成功した。病院では心拍が安定するまで心臓マッサージが施され、医師らは気管挿管して人工呼吸器につなげた。CTスキャンで調べてみたが意識は戻らなかった。処置を見守った救命救急センターの浜辺祐一部長はこう漏らした。「命はとりとめたが回復は期待できない。あちこちに針や管を入れ、苦しませているだけなのではないか」

 1990年代のはじめ、ここに搬送される患者で最も多かったのは現役世代の50代。次いで20代だった。今では70代が最多。2014年の全国の救急搬送人員(540万人)でも75歳以上が約4割を占める。この日、センターの集中治療室に入院中の患者21人のうち7人が75歳以上だ。

 浜辺部長は「ほとんど天寿を全うしたと思える人も増えている。最期を穏やかに全うさせる『終末期医療』と、突発、不測の病気やけがから命を救う『救急医療』ではベクトルが違うのではないか」と話す。

 墨東病院のような重篤な急患を受け入れる3次救急病院では治療費は高額だ。入院料は1日十数万円。人工呼吸器や心臓マッサージが加わるとさらに数万円かかる。長期入院となれば、1カ月で300万円以上になることも珍しくない。

 「高額療養費制度」で、自己負担には上限が定められている。70歳以上で低所得の場合であれば、月1万5千円で済む。残りは保険料や税金でまかなわれる。

 「本人や家族も望んでいない延命治療のために社会に負担を強いているのではないか」。さいたま市派遣社員、中村祐子さん(54)は悩んでいる。

 脳梗塞(こうそく)後のけいれん発作で母(83)が特養ホームから救急搬送されて3年が経つ。目は開くものの意識は定かではない。栄養補給のために鼻から入れた管は抜けないまま。医師に「回復は見込めない」と言われている。月の医療費は約14万円だが、重度の障害があるため自己負担はない。

 母は「日本尊厳死協会」に登録し、延命を望まないと説明していた。家族も意思を尊重して担当医に伝えたが、「いったん入れた管は抜けない」と拒まれた。中村さんは「こうなるとは思わなかった。本人や家族の同意があれば、治らないのがわかった時点からでもなんとかならないのでしょうか」。

 ■「年金頼み」、延命求める家族

 貧困と延命の深刻な関係もあった。

 茨城県のある診療所に2月、60代の夫婦が90代の女性と一緒に訪れた。女性は認知症で、自分の名前もわからない状態だった。「母がご飯を食べなくなった。お金はかけられないが、それでも長生きさせたい」

 対応した医師(59)にその息子は「母が死んだら自己破産しなければいけない」とこぼした。母親には毎月20万円近い年金があり、借金のある夫婦はそれに頼った暮らしをしていた。追い詰められていた。

 胃に穴を開け、管で流動食を入れる「胃ろう」という方法を伝えると、「やってほしい」。息子は即答したという。

 医師は母親が家に戻ってから定期的に訪問している。だが、家族が対応に出てこないこともしばしば。ケアマネジャーも含めた会議にも来ない。この医師は「本当に、母親を案じているのか。母親本人のためにはならないのだが……」。

 浜松医科大の大磯義一郎教授(医療法学)は、「医療費の自己負担割合は、高額療養費制度で抑えられ、高額医療でも比較的抵抗なく享受できるのが日本。だから必要な医療が安心して受けられる」。だが、結果として延命が家族を支える特殊な構図も出てくるとみる。対照的に、自己負担が大きい米国は、家族に迷惑をかけないよう若いうちから延命措置を事前に拒否せざるをえない。

 東京都世田谷区の特養「芦花ホーム」の常勤医で、「『平穏死』のすすめ」などの著作がある石飛幸三氏は「患者本人や家族、医師もこれまで最期について向き合ってこなかった。本人が望まないような最期、終末期医療も起きてしまう」と話す。

 日本医師会は9月、終末期医療のあり方について委員会を設け、議論を始める予定だ。横倉義武会長は朝日新聞の取材に、「尊厳ある死のあり方が主題だが、経済的観点も論点になりえる」と述べた。

 ■明確な判断、早めの準備重要

 本人の意思が重要だ。

 「イロウ(胃ろう)のパイプをひっこぬいてください」。鹿児島市の盛泰寛さん(71)は4月、市内の「成人病院」の小斉平(こさいひら)智久副院長に筆談で訴えた。脳梗塞(こうそく)で倒れ昨年3月に「胃ろう」をつけた。

 もとは胃ろうを拒んでいたが在宅治療に戻るため、医師の説得を受け入れた。今年2月に再入院したが、訓練を続けてかなりの流動食もとれるようになった。

 こうした場合でも胃ろうを続けるのが通例だ。だが、小斉平さんは「医者ではなく、本人にとって何が正解なのか考えた」。5月、盛さんは胃ろうを外して自宅に戻った。

 東京都東久留米市特別養護老人ホーム「マザアス」は入所時に終末期医療について、入所者や家族と意思確認書を作る。病状が悪化した時、救急搬送や延命措置を受けるのか――。その後も半年ごとに内容を更新する。入所者の大半が救急車を呼ばず、施設での最期を望むという。

 マザアスの矢島美由紀介護課長は、「判断できるうちから『最期』に準備することが重要」と話す。説明を受けていない親族がひっくり返そうとしても、「本人の意思が明確なら動かない」という。(杉浦幹治、青山直篤)

 ■<解説>治療、家族と共有を

 誰もに必ず「最期」が訪れる。内閣府が2012年に実施した調査で、治る見込みがない時に延命治療を望まない高齢者は9割超。その時にどんな治療を受けたいか家族と話し合ったことがあるかを尋ねた別の調査では、「詳しく話し合っている」と答えたのは2・8%にとどまった。

 最期の意思をきちんと伝えられるとは限らない。突然倒れるかもしれないし、認知症を患うかもしれない。

 日本は国民皆保険制度を通じ、比較的安い医療費で高度医療も享受でき、世界最高レベルの長寿を実現した。そのすき間に、本人の望まない最期もある。

 取材では、特養で意識がはっきりしないまま長期間、管につながれたお年寄りを見た。救急現場で「みとり」に近い患者の手当てに懸命な医師もいた。彼らが「誰のためになっているのか」と漏らしたのも聞いた。

 どう最期を迎えるべきかは一律に論じられない。だが、自分がどんな最期を迎えたいか。自ら考え、家族と話し合うことはできるはずだ。(杉浦幹治)

 ◇ご意見は、keizai@asahi.comメールするまで。

 ■墨東病院救命救急センターに入院したある80代の女性患者の医療費

<注射>中心静脈注射用カテーテル挿入、生理食塩液など/小計約50万円

<処置>人工呼吸、気管内挿管など/小計約30万円

<手術>胃縫合術、全身麻酔など/小計約80万円

<検査>内視鏡気管支検査、心臓超音波検査など/小計約20万円

<入院>救命救急入院料など/小計100万円

<投薬、その他>CTスキャンなど/小計20万円

合計 約300万円(うち自己負担1万5千円)

 (入院日から最初の月末までの半月分のみ。翌月以降の医療費は100万円前後。昏睡〈こんすい〉状態で救急搬送され、いまも入院中だ)
    −−「にっぽんの負担 公平を求めて 終末期医療、本人の意思は」、『朝日新聞』2016年08月12日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12508318.html





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