覚え書:「文化の扉:涼呼ぶ怪談の世界 怖さの中に畏敬や情愛も」、『朝日新聞』2016年08月14日(日)付。

Resize4057

        • -

文化の扉:涼呼ぶ怪談の世界 怖さの中に畏敬や情愛も
2016年8月14日


涼呼ぶ怪談の世界<グラフィック・米沢章憲>
 
 ヒタリ、ヒタリ。背後に迫る不気味な気配。暗やみに、もののけがうごめく。盛夏に涼を呼ぶ怪談。だがこの世のものとは思えない話に、人間の真実が見えてくることがある。さあ、あなたもあやかしの世界へようこそ。

 怪奇と幻想をテーマにした話は平安時代の『日本霊異記』や『今昔物語集』にも記述がある。だが広く庶民の間で親しまれるようになったのは、江戸文化が爛熟(らんじゅく)した文化文政期(1804〜30年)といわれる。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』や鶴屋南北の『東海道四谷怪談』などが人気を呼び、歌舞伎や落語でも怪談が上演された。幕藩体制の矛盾が露呈した時代。「世情の不安が高まる中、闇の文化への関心も広がったのではないか」。怪談専門誌『幽』編集長の東雅夫さん(58)は言う。

 怪談で寒さを感じるのは交感神経が刺激され、血管が収縮するためだという。とはいえ、恐怖心をあおるだけのものではない。怪異文学に詳しい池田雅之・早大教授(比較文学)は「人間存在の根源にある悲しみや畏怖(いふ)心、いとおしさに訴えかけるものだ」と語る。

     *

 例えば作家・小泉八雲の「雪おんな」。自然の精霊・お雪が人間の男と結ばれる愛の物語だ。夫の裏切りに遭うが、お雪は夫を殺すことができず彼岸の世界へ帰っていく。「すべてを包みこむ女性性の豊かさを読み取ることができる」と池田教授は言う。

 東日本大震災の被災地では「幽霊現象」の体験談に注目が集まる。恐怖心ではなく、畏敬(いけい)の念を持って接する人が少なくないという。震災で突然亡くなった人への情愛や共感が背景にあるのだろう。町おこしにも一役買っている。八雲が暮らした松江市では怪談の舞台を語り部と一緒に歩く「ゴーストツアー」が人気だ。

 怪談を盛り上げるのは、ヒュードロドロの笛太鼓。新作怪談に取り組んでいる浪曲師の玉川奈々福さんは「『間』も大切。のろのろとしたねばりつくような語りが怪異さを助長する」と話す。

     *

 怪談の流通には一定のコンセンサスが必要だ。「口裂け女」が全国に広がった背景には塾通いの子どもの存在があったといわれる。「あたし、きれい?」と尋ね、おもむろにマスクを外す女性。耳元まで大きく裂けた真っ赤な口。「塾」という管理された空間から逃れようと子どもたちが考えた空想の産物だろうか。『魔界と妖界(ようかい)の日本史』の著書がある編集者の上島敏昭さん(60)は「メディアによってイメージが増幅され、現実味を帯びたのでは」と語る。

 子どもといえば、学校が舞台の「トイレの花子さん」も有名だ。誰もいないはずのトイレで「花子さ〜ん」と言ってノックすると、返事があって中に引きずり込まれる。なぜトイレなのか。八雲のひ孫で島根県立大短期大学部教授(民俗学)の小泉凡さん(55)は「かつては外便所で、空間的にも精神的にも異界に最も近い場所と考えられてきた。しかも薄暗い場所で陰部を露出するのだから不安を感じるはず。怪談が生まれやすい場所なのかもしれません」と話す。

 (編集委員・小泉信一)

 ■精神的な癒やしもたらす 精神科医香山リカさん

 「お迎え現象」を思い起こします。死期が迫っている人が、その場には誰もいないのに誰かと会話をしているそぶりを見せたり、「亡き家族や友だちが会いに来た」と語ったりする現象です。医学的には「幻覚」として退けられ、非合理的かもしれません。

 しかし、このような体験に見舞われた人の方が、死への不安や恐怖心が薄らぎ、安らかに旅立てるという話を聞いたことがあります。送る側にとっても「ひとりで旅立たせたのではない」と考えることができ、気持ちが救われるのではないでしょうか。

 こうした意味では怪談も「お迎え現象」のような精神的な癒やし効果をもたらすことがあると思います。人と人、世代と世代をつなぐコミュニケーションなのかもしれません。いずれにしても人間が人間である限り、あの世や死後の世界への関心は尽きることはないでしょう。

 <読む> 怪談文芸評論家の東雅夫さんが著した『なぜ怪談は百年ごとに流行(はや)るのか』(学研新書)には、怪談がブームになった社会状況が克明に書かれている。江戸時代初期から東日本大震災が起きた2011年までの「日本怪談文芸年表」もある。

 <訪ねる> 7月16日にリニューアルオープンしたのが松江市の「小泉八雲記念館」。収蔵品は従来の1.5倍の約1500点。怪談の朗読が聞けるコーナーもある。開館は午前8時半〜午後6時半(10月1日〜3月31日は午後5時まで)。

 ◆「文化の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「戦後詩」の予定です。ご意見、ご要望はbunka@asahi.comメールするへ。
    −−「文化の扉:涼呼ぶ怪談の世界 怖さの中に畏敬や情愛も」、『朝日新聞』2016年08月14日(日)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S12511170.html





Resize3943

Resize3219