覚え書:「18歳をあるく 戦争体験、自分で知ろうとしないと」、『朝日新聞』2016年08月14日(日)付。

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18歳をあるく 戦争体験、自分で知ろうとしないと
2016年8月14日

中央大ゼミの聞き取りの元になった作文募集は、元新聞記者の谷久光さん(右)が戦争体験を書いた作文に、NPO法人「ここよみ」の代表が目を留めたことがきっかけだった。授業で体験を聞いた松永英美里さん(左)と河原結菜さん=東京都八王子市の中央大、金川雄策撮影
 
 戦争体験者の聞き取りに向かう日。「本くらいは持っていこうかな」と中央大1年の松永英美里さん(18)が手にしたのは、高校の日本史の資料集。それが家にあった一番身近な、戦争に関する本だった。6月中旬、同級生の河原結菜さん(19)と、東京都府中市の近藤千穂さん(79)宅を訪れた。

 訪問は、広岡守穂教授のゼミの一環。NPO法人「ここよみ」(東京)が全国の戦争体験者から募集した作文の作者を訪ね、話を聞くのが課題だ。松永さんも河原さんも、聞き取りに興味があったわけではない。ゼミを選んだのは「先生が優しそうだったから」。高校までの歴史の授業などで戦争のことを学んだものの、印象には残っていない。

 日取りを決めるため近藤さん宅に電話すると、「じゃあ、お昼用意しとくわね」と返ってきた。「え、ご飯食べながら戦争の話?」。戦争といえば、暗く重いイメージしかなかった河原さんは驚いた。

 芋をおいしく食べるため工夫したこと。砂糖がなく、人工甘味料が配給されたこと――。その時代の暮らしがよみがえるような話が次々飛び出した。「どこまで踏み込んでいいか迷ったけど、教科書に載っていないような話が新鮮だった」と松永さん。

 ゼミには1年生17人が参加。授業より前に「戦争体験を聞いたことがある」と答えたのは11人。語り部などから聞いたのが6人、祖父母が5人だった。

 日本では家族間の戦争体験の伝承が乏しく、中央大のゼミのような学校での取り組みが知るきっかけになることが多い。平和教育に詳しい村上登司文・京都教育大教授(教育社会学)が2006〜10年、日、独、英の3カ国の中学生に調査したところ、「第2次世界大戦のことを誰から聞いたか」という問いに対し、「先生」は3カ国とも約8割。一方、「祖父母」は独69%、英47%に対し、日本は38%だった。

 朝日新聞ツイッターアカウント「Voice1819(@asahi1819)」を通じたアンケートでも、その傾向が出た。18〜19歳の回答者72人のうち、家庭で戦争体験を聞いたのは24人、修学旅行や授業など学校の活動が36人だった。

 中央大のゼミ生からは聞き取りの後、「無関心ではいけないと思った」「自己投影できた」と声があがった。河原さんは、大きな枠で語られがちなこれまでの授業とは違って、一人一人の生活を想像できるようになり、以前より興味が湧いたという。

 「私たちの世代は自分で知ろうとしない限り、戦争を知る機会が本当に減っているんだと思う。『戦争』のイメージが変わった」

 (仲村和代)

 ■平和、自分も伝えていいんだ

 被爆者の高齢化と語り部の確保――。被爆地広島と長崎に暮らす18歳も、どう継承するか模索する。

 広島女学院高3年、並川桃夏(ももか)さんは8月6日、平和記念公園を訪れ、オバマ大統領に花輪を渡した日のことを思い出した。「来年は大学生になる。自分より若い子に、県外の子に、広島の思いを伝えたい」

 高校入学後、校内の平和活動に加わった。被爆者の証言やその動画をネットで公開する「ヒロシマアーカイブ」。世界の人に、若い人たちに伝えようとするプロジェクトだ。

 最初は被爆者団体や先生らの紹介で月に1人のペースで被爆者に会っていた。しかし、昨年1月のこと。約束していた人が収録直前に亡くなった。

 被爆者がいなくなる――。そんな危機感から「いまは多くの人に話を聞くことが大切かもしれない」と、証言してくれる人を探し、会う回数も増やした。「知り合いで証言してくれる人、いない?」と母に尋ね、「ひいおばあちゃんも被爆者よ」と告げられた。

 身近な家族に被爆者がいることを知らなかった。年に数回顔をあわせる程度だったが、友達を誘い、カメラをむけた。アーカイブをパソコンでみせると「未来に残るんだね」と喜んだ。

 半年ほど前。原爆ドーム前核兵器廃絶を求める署名活動をした。20代の男女が「日本は核を持ってるの? 誰が落としたの?」と真顔で聞いてきた。「広島に住んでいても知らない人がいるなら、日本で知らない人はもっといる。世界ならもっとかも?」

 被爆者団体は高齢化が進み、運営に不安を抱く。朝日新聞社の全国調査では、5割が若い世代の支援者の加入に期待していた。

 長崎にも継承に挑む18歳がいる。活水高3年の永石菜々子さん。約50人いる平和学習部を部長として率いる。

 同級生の多くは「被爆3世」。祖父母の経験をもとに原爆や戦争への思いを語る。一方、長崎に引っ越してきた永石さんの肉親には被爆者がいない。「土台の重みが違うように感じ、被爆者の思いを代弁するにも、どこか劣等感がありました」

 転機は昨年、米国ミネソタ州に留学したことだ。長崎で核兵器廃絶の署名活動をしたように、核保有国の米国でできないか。公園やビーチで訴えた。「ノーという人もいれば、耳を傾けてくれる人もいた」。1年かけて1千筆を集めた。帰国後、少し自信がついた。

 この夏、高校生平和大使に選ばれた。14日、署名を国連欧州本部に提出するためジュネーブに向かう。いま、こう思う。「被爆者が家族にいなくても伝えられる。意思さえあれば、自分も平和を伝えていいんだ」

 (高木智子)

 ■どう継承するか

 両親が沖縄出身、広島生まれと、平和や戦争といったテーマに敏感な環境で育ち、戦後60年の節目は記者として長崎で過ごした。その私も、この話題への近寄りがたさを感じてきた。

 ただ、今回取材した学生たちは、生身の交流がハードルを越えるきっかけになったように思う。体験者がいなくなれば、こうした交流は難しくなる。新たな「戦争体験者」を生まなかった71年の歴史をこれからも続けるためにも、何を、どう「継承」するのかを、考えていこうと思う。

 (仲村和代・37歳)
    −−「18歳をあるく 戦争体験、自分で知ろうとしないと」、『朝日新聞』2016年08月14日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12511097.html


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