覚え書:「戦時下「幻の邦字紙」 「スマトラ新聞」インドネシアの図書館に保管」、『朝日新聞』2016年08月15日(月)付。

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戦時下「幻の邦字紙」 「スマトラ新聞」インドネシアの図書館に保管
2016年8月15日


スマトラ新聞。右側は1943年10月2日付で、第2次大戦の戦況が大半を占めている
 第2次大戦中に、日本の軍政下のインドネシアスマトラ島で発行された邦字紙「スマトラ新聞」約4カ月分が、ジャカルタ国立図書館に保管されていたことが分かった。同紙は現物がほとんど確認されておらず、「幻の新聞」とされていた。発見した民間の研究者が、復刻版作りを目指している。

 スマトラ新聞は、戦前の通信社「同盟通信」などがシンガポールで作った「昭南新聞会」が、スマトラ島パダンで1943年6月から45年にかけて発行した。発行部数は数千部と言われている。

 当時は、旧陸軍による南方占領地での「新聞政策要綱」に基づき、各新聞社が現地で邦字紙を出していた。朝日新聞がジャワ、毎日新聞がフィリピン、読売新聞がビルマ、同盟がシンガポールスマトラなどを担った。多くは当時の紙面が保存されているが、スマトラ新聞はオークションで断片的に出回ることはあっても、同盟を引き継いだ共同通信時事通信を含めて、まとまった形では確認されていなかった。

 同図書館の書庫に記録されぬままに保管されていたのは、43年10月1日付の100号から44年1月20日付の193号まで。「マニラ新聞」と書かれた箱にむきだしの状態で保管されていた。破れた号もあり保存状態は良いとはいえない。

 保管を確認したのは、日本軍政下の捕虜や労務者について調査・研究したり、評論活動をしたりしている東京都板橋区の江澤誠さん(66)。日本の軍政下で造られた旧スマトラ横断鉄道について執筆しようとインドネシアを5月に訪問。中国研究者の鈴木正夫・横浜市立大名誉教授が92年に同図書館で見たとの情報をもとに、確認した。「最初は『ない』と言われたが、再び調べてもらったら見つかった。既にマイクロフィルム版にしてあり、年内の復刻版の出版を目指したい」と話す。

 軍政期のインドネシアに詳しい倉沢愛子・慶応大名誉教授は「同紙に触った研究者はほぼいないはず。軍政の研究に大きな役割を果たしうる」と話す。

 (ジャカルタ=古谷祐伸)
    −−「戦時下「幻の邦字紙」 「スマトラ新聞」インドネシアの図書館に保管」、『朝日新聞』2016年08月15日(月)付。

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