覚え書:「今こそエリック・サティ 癒やし系の曲、素顔は「革命家」」、『朝日新聞』2016年08月15日(月)付。

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今こそエリック・サティ 癒やし系の曲、素顔は「革命家」
2016年8月15日


エリック・サティ青土社提供
 皮肉屋か革命家か。一流のユーモアに批判精神を宿らせた。

 1980年代後半、クラシックに「癒やし系」というジャンルが現れた。バブルの狂騒に踊りながら、心の荒れ地をならしてくれる穏やかな音楽に、人々の心は傾いた。

 そして、とある涼やかな響きの名が再び人々の口にのぼるようになった。サティ。19世紀末に生まれ、第1次大戦の時代を生き抜き、20世紀の音楽家に大きな影響を与えながら、ほとんど忘れ去られていたフランスの作曲家だ。

 なかでも人気は、晩夏の午後の気だるさを思わせる「ジムノペディ」と、透明感あふれる「ジュ・トゥ・ヴ(あなたが欲しい)」。著作権が切れた86年には、数社が競ってこれらの楽譜を出版。瞬く間にBGMの定番となった。

 しかし、生誕150年の今年、そんな先入観を覆す楽曲が相次いで上演されている。5月には、サティが戯曲と音楽をともに手がけた「メドゥーサの罠(わな)」の本格上演に、東京芸大が挑んだ。金持ちの男爵と娘、恋人や猿などが織りなす不条理喜劇。言葉も音も飄々(ひょうひょう)ととぼける。わかりやすい感動や共感とは無縁。ピアノ曲ヴェクサシオン」の抜粋上演も。52拍のシンプルなフレーズを、840回繰り返す。ほんとうに指示通りにやると18時間以上かかる。

 しかし、ばかばかしいと一笑に付すなかれ。サティは鋭い批評精神を、道化のマントの下にちらつかせている。

 「メドゥーサ」を企画したピアニストの高橋アキは言う。「サティは癒やし系ではなく、むしろ時代を先取りしすぎた『革命家』だった」

 ドビュッシーやラベルが「印象派」の看板を得て権威となる一方、人々を扇動する様式や発展的手法に、サティは一切価値を見いださなかった。不器用なうえ貧乏なサティは、徐々に日陰に追いやられた。自身の評価を聴き手に押しつける批評家を、文筆で痛烈に風刺することも。多くの同胞が、尊敬と若干のいらだちをこめ、サティに「異端児」のレッテルを貼った。

 それでもサティは、感性の解放区を目指した。好奇心への忠実さ、とらわれぬ心。これさえあれば、人はもっと面白く生きられる、と。その真意を理解したのは、坂口安吾ジャン・コクトーら、音楽以外の世界の住人だった。

 「円熟を振り切り、誰もやらないことを志した。どこにも所属せず、支配されぬ勇気を貫いた」と高橋は言う。

 謙虚さ、恥じらい、何者にも媚(こ)びぬ潔癖さ。こうしたサティの性質は、幾重にもひねくれた曲名の源となる。「ひからびた胎児」「官僚的なソナチネ」「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」「彼のジャムパンを失敬する食べ方」

 強烈だが、ドビュッシーの「月の光」のように、特定のイメージを聴き手にあらかじめ差し出すものではない。高橋の夫で、サティ研究の第一人者だった評論家の秋山邦晴は1990年の大著「エリック・サティ覚え書」(青土社、今年復刊)で、サティのユーモアは「不服従の精神」の象徴であり、「絶望のもうひとつの仮面」であり、「積極的な反逆の姿勢」と分析した。作曲はサティにとって、豊かな「個」の在り方を模索する行為だったのだ。

 驚くも、感動するも、退屈するも、すべては聴く人の心の王国のもの。「共感」のもとに人々の感性が動員されてはならない、と生まれ変わったサティは語りかける。「芸術」というもっともらしい看板にこうべを垂れず、自分の心が向く世界にのみ忠実に生きよと。「ただひとつ、私は叫びたい、アマチュア万歳!」(編集委員吉田純子

 <足あと> Erik Satie 1866年、フランスの港町オンフルール生まれ。ディアギレフ率いるバレエ・リュスで、コクトー台本、ピカソ美術・衣装の「パラード」で音楽を担当。ダダイズムの先駆者でもあった。1925年、59歳で没。

 <もっと学ぶ> 高橋アキ企画による音楽喜劇「メドゥーサの罠」が、8月28日午後4時に群馬県草津町草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル、9月2日午後7時に神奈川の茅ケ崎市民文化会館で上演される。東京芸大では「サティとその時代」と題した記念企画が10月22日、11月6日に開かれる。いずれも午後2時。

 <かく語りき> 「最後まで一歩もゆずってはいけないよ。若い者は人と反対のことだってすべきなんだ」(死の床で、若い作曲家に語った言葉)。文中のサティの言葉はいずれも秋山邦晴による訳。

 ◆過去の作家や芸術家らを学び直す意味を考えます。次回は22日、映画俳優のブルース・リーの予定です。
    −−「今こそエリック・サティ 癒やし系の曲、素顔は「革命家」」、『朝日新聞』2016年08月15日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12512278.html


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