覚え書:「ザ・コラム 「ディナーの酔客」 ポピュリストが突く本質 国末憲人」、『朝日新聞』2016年09月01日(木)付。

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ザ・コラム 「ディナーの酔客」 ポピュリストが突く本質 国末憲人
2016年9月1日

 この言葉は20年前、ほとんど耳にしなかった。今や世界のトレンドだ。

 「ポピュリスト」(大衆迎合主義者)は、今年の国際ニュースを象徴するキーワードになりそうだ。右のトランプ氏、左のサンダース氏が米大統領選をかき回し、英国独立党(UKIP)のファラージ前党首は英国の欧州連合(EU)離脱決定をお膳立てした。オーストリアでも右翼ポピュリズム政党の候補が大統領の座をうかがう。

 だけど、ポピュリストって何だ?

 学界でも定義が定まらないが、「政党を介せず大衆に直接語りかける」「すべてを敵と味方に分ける」「標的を定めて攻撃する」といった手法の政治家を指す場合が多い。偏狭なナショナリズムや偏見としばしば結びつき、世の中の緊張を高める。

 メキシコの政治学者ベンハミン・アルディティ氏は、学術論文「民主政治の内部非主流派としてのポピュリズム」でポピュリストをこうなぞらえた。

 「ディナーパーティーに酔っ払って到着した客」

 その客はたぶん、大声を出したり、他人の会話に割り込んだりするに違いない。ほかの客の奥さんにちょっかいを出すかもしれない。テーブルマナーも、社交上のルールも台無しだ。やっかいなことになった。主人は頭を抱えたものの、いったん招待した以上「帰れ」とも言えない。

 ポピュリストも、政界というパーティー会場では同様に困った人だ。何せ粗暴で、偏屈で、攻撃的。人々の無知につけ込んで扇動を繰り返すが、大衆の支持を集めるだけに排除するわけにもいかない。どこかにいなくなってくれないものか。

         ◇

 ただ、私たちは迷惑がるあまり、酔っ払いが社会で果たす重要な役割を忘れてはなるまい。周囲の顰蹙(ひんしゅく)を気にすることなく発せられる酔客の暴言には、時に重要な真実が含まれるからだ。物事の本質に迫る問題提起が隠されていることもある。

 ポピュリストの言動も同じである。政治がいかに閉鎖的なサークルと化しているか。それを指摘できるのは、彼らこそだ。

 背景には、大衆と政治とが大きく遊離した欧米成熟社会の現実がある。政治を牛耳るのは、グローバル化の波に乗るエリートやエスタブリッシュメントばかり。波に乗れない庶民は、不安や不満を募らせるものの、政治に参加するすべもない。

 こうした状況を、7月に来日したオランダ・ラドバウド大学の政治学者クン・ボッセン講師は「奇妙なパラレルワールド」と表現した。日常世界では、政治など関係なく役所や企業が粛々と業務をこなし、社会が回る。一方の政治の世界では儀礼化、形式化が進み、着飾って集まるパーティーのような特権者クラブとなった。二つの世界は並行して存在し、交わることがない。

 「政治はもともと私たちのものだったのに」。そう嘆く市民に寄り添うのは、大衆にこびるポピュリスト政治家だけだ。彼らは、政治から排除された人々の声を拾い集め、酔いに任せてぶちまける。だからこそ、あれだけ危うくお下品なトランプ氏に人々は喝采を送るのだ。

         ◇

 ポピュリストの支持層には一般的に、低所得、低学歴の傾向がうかがえる。いわば、政治に対して「意識が低い」と見なされてきた人々だ。

 ところで、「意識が低い人々」は、本当に政治に関心がないのだろうか。実は意見を抱きながら、それを表明するノウハウや勇気を持ち合わせないだけではないか。

 子どもの頃の教室を思い出してほしい。はいはいと手を挙げる元気のいい子どもたちばかりで授業が進む教室は、決していいクラスではない。黙ってうつむいている子、注意散漫でぼけっと窓の外を見ている子、引っ込み思案で手を挙げない子たちも一緒になって授業をつくってこそ、本来の教育だ。積極的な子だけとつるむのが教師の役割ではないように、意識の高い市民だけで集まるのも政治とはいえない。

 「意識が低い人々」の声に、ポピュリストしか耳を傾けないとは、情けない。世界を席巻するポピュリスト現象は、ポピュリスト以外の政治家がいかに世間からかけ離れているかも示している。(GLOBE編集長)
    −−「ザ・コラム 「ディナーの酔客」 ポピュリストが突く本質 国末憲人」、『朝日新聞』2016年09月01日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12537260.html





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