覚え書:「マザー・テレサ「聖人」に バチカンで列聖式、信者集う」、『朝日新聞』2016年09月05日(月)付。

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マザー・テレサ「聖人」に バチカン列聖式、信者集う
ローマ=山尾有紀恵 コルカタ=貫洞欣寛2016年9月5日


バチカンのサンピエトロ広場で4日、列聖式を前にマザー・テレサの写真を掲げる修道女=AP
 
 インドのコルカタカルカッタ)で貧しい人たちを救済する活動に尽くした修道女マザー・テレサ(1910〜97)が4日、ローマ・カトリック教会で最高位の崇敬対象である「聖人」に正式に認定された。

 バチカンのサンピエトロ広場で行われた列聖式には、約10万人の信者らが集まった。フランシスコ法王は「慈しみは彼女の仕事を味付けする『塩』であり、貧しさと苦しみのあまり流す涙もない多くの人々の暗闇を照らす『光』だった」と述べ、弱い立場にある人たちに寄り添った偉業をたたえた。法王が「身近すぎて『聖テレサ』と呼びにくい。マザー・テレサと呼び続けると思う」と語ると、会場から大きな拍手がわいた。

 マザー・テレサは、危篤状態だったブラジル人男性のために妻がマザー・テレサに祈った結果、回復したことなど死後に2度の「奇跡」を起こしたと認められ、聖人と認定された。

 現在のマケドニアスコピエ生まれ。「神の愛の宣教者会」を設立して、インドで奉仕活動をした。功績をたたえられ、79年にノーベル平和賞を受賞した。(ローマ=山尾有紀恵)

■「マザーはみんなのお母さん」インドで祝福

 インド東部コルカタでは4日、マザー・テレサの活動の本拠で、自宅でもあった「マザーハウス」前で人々が列聖を祝った。

 そのうちの一人、目が不自由なハリハル・サフさん(53)は、別の慈善団体の寄宿舎に暮らしていた約40年前、初めてマザー・テレサに会った。「いつでもいらっしゃい」と福祉作業所の仕事を紹介してくれた。

 「マザーはみんなのお母さん。改めて、素晴らしさを分かち合える日が来た喜びは言葉にできない」

 スニタ・クマールさん(74)は30年にわたり、ボランティアとしてマザー・テレサのもとで働いた。1967年、彼女の修道会が主宰する病人の薬袋を作る活動に加わったとき、初めて会った。「握手した時に感じた力強さと手の温かさは、今も忘れない」

 スニタさんは様々な活動に加わるようになったが、当初はホスピス「死を待つ人の家」での活動をためらった。怖かったのだ。「怖くない。患者さんたちに幸せを与えなさい。患者さんを見たら、ほほえみなさい。必ずほほえみ返してくれる」と助言をくれた。その通りになり、恐れは消えた。

 マザー・テレサを巡ってインドでは、モディ政権の支持基盤のヒンドゥー至上主義団体・民族義勇団(RSS)の幹部が「目的はヒンドゥー教徒カトリックへの改宗だった」と発言するなど、議論がある。

 だが、スニタさんは「私はシーク教徒だが、マザーが私に改宗を求めたことはない。『それぞれの方法で神に祈りましょう』と言うだけ。宗教の枠なんて超えていた」と振り返る。

 ノーベル賞を受け、著名人となっても「変わらず毎朝4時半に起き、貧しい人々のために働き続けた。名声は、マザーが変わったのではなく、周りが彼女への理解を変えた結果です」。

 全国紙ステーツマンのラビンドラ・クマール編集局長によると、マザー・テレサが注目を集めた70年代は、パキスタンからバングラデシュが独立した71年の第3次印パ戦争の直後。コルカタには難民が押し寄せ、ホームレスであふれた。「マザーの功績は、世界の人々がその活動を通じ、貧しい人々の苦しみを考えるようになったことだ」と話した。(コルカタ=貫洞欣寛)
    −−「マザー・テレサ「聖人」に バチカン列聖式、信者集う」、『朝日新聞』2016年09月05日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/ASJ945171J94UHBI00S.html





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