覚え書:「寂聴 残された日々:16 この世の地獄 災害より恐ろしい我欲」、『朝日新聞』2016年09月09日(土)付。

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寂聴 残された日々:16 この世の地獄 災害より恐ろしい我欲
2016年9月9日


徳島県立文学書道館に再現されている寂庵の書斎=徳島市、岡田匠撮影
 今からおよそ90年前、私は子供であった。故郷の阿波の徳島は、お盆の阿波踊りの時以外は、いつでも眠ったように静かで、お四国詣(まい)りの巡礼の鈴音が時々通りすぎるだけだった。

 空は青く高く、いつでも晴れ晴れと輝いていた。南国なので冬に雪を見ることもめったになく、たまに白いものが空から舞い落ちると、子供たちは歓声をあげて往来へ飛びだし、エプロンを体の前に広げて、貴重品を集めるように、雪をそこに受け取ろうと走り回った。雪が積もることなどめったになかった。わずかな雪を集めて祖母や母のつくってくれた「雪うさぎ」をお盆にのせ、宝物のように抱いていた。

 ふだんは雨さえめったに降らなかったが、小学校へ上がるようになると、長い夏休みが明け、2学期が始まるとすぐ、必ず訪れる暴風雨があった。

 大人たちは、それを「二百十日(にひゃくとおか)」と呼んでいた。それ以外の季節にたまに大雨が降ると、「時化(しけ)」と呼んでいた。子供は暴風雨などという言葉は知らず「しけ」と言っていた。

 季節外れの時化に見舞われると、小学校では、授業が休みになり、早々と子供たちを家へ帰した。突然の早退は、お祭りが来たようにうれしく、子供たちは大喜びした。

     *

 そんななつかしい記憶しかない「時化」が、90年過ぎたこの頃では、毎年、恐ろしい暴風雨になって国じゅうを襲い、死者や行方不明者をおびただしく出し、堤は切れ、川は氾濫(はんらん)し、家々は流され、壊されていく。天気予報はテレビやラジオでこまめに正確に報じられるが、それの防ぎ方は、避難所に行くだけしかない。逃げ遅れた年寄りたちの死者や行方不明者は、何十人と報じられるのが当たり前になっている。これほど文明が発達し、月に人間が降り立ち、宇宙を人が飛び回れる世の中になっても、毎年見舞われる暴風雨の被害を防ぐことができないのはどうしてだろう。

 自然の猛威に人間の力はひとたまりもない。万物の霊長などとうぬぼれている場合ではない。世の中で恐ろしいものは、「地震、雷、火事、親父(おやじ)」と言ったものだが、現在、恐ろしい親父などめったにいなくなって、長生きすれば認知症になり、若い人たちの負担になっている。

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 自然の災害が報じられる度、逃げおくれた老人たちの死に様や行方不明者の数を聞くと、94歳になってしまった私は、やりきれない鬱(うつ)に襲われる。こんな時、北朝鮮が何やら恐ろしい爆弾を日本海にバラバラ打ち出している。中国は、日本の海でわが物顔に船を泳ぎ回らせている。拉致被害者の解決も一向につかないまま、したい放題にされて、日本はただ歯を食いしばっているだけだ。自然の猛威は恐ろしいが、人間の我欲はもっと恐ろしい。

 老齢のきざしの見えはじめた地球に、長命一途になる人間があふれんばかりに住んで、年々に自然災害にうちのめされている。これがこの世の地獄でなくて、なんであろうか。

 ◆作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんによるエッセーです。原則、毎月第2金曜日に掲載します。
    −−「寂聴 残された日々:16 この世の地獄 災害より恐ろしい我欲」、『朝日新聞』2016年09月09日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12550618.html





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