日記:「民族」概念をめぐるロマン主義的退嬰

Resize4525

        • -

 ヨーロッパには、十七世紀にはじまる近代国家の意識の発展に関与しなかった大きな民族が三つある。スペイン、イタリア、それにドイツである。スペイン、イタリア、それにドイツである。というのも、決定的な時期に、運命はこれらの民族に背を向けていたからである。
 大国スペインは衰える一方だった。反動宗教改革政策、カトリックキリスト教を再興させんがための闘い、普遍性理念および神聖ローマ帝国への固執といったことが、スペインをして近代世界の解放的勢力を押しとどめる方向への進路を運命づけた。イタリアはそれぞれの領域に細分化され、教皇、スペイン、オーストリアによって支配されていた。そしてドイツは宗教戦争、領主と皇帝勢力の対立抗争の中で崩壊していった。したがって、近代国家という観念はこれらの民族には異質のものだった。近代の国家観念はこれらの民族の土壌では育つことはなかったし、民族自体も近代国家観念と手をたずさえて育っていくことはなかった。これらの民族には、みずからの姿を国家という鏡に映して見る可能性が少ないぶんだけ生き生きと民族という意識が残った。彼らが領主やお上には距離をとりつつ、先祖伝来の法、慣習、言語をはじめ、彼らの持っている一切を維持し、
発展させようとすると、民族という意識を残さざるをえなかった。こうして民族という言葉は、スペイン、イタリア、ドイツにおいては特別な意味を帯びることになったのである。
 フランスやイギリスの言語には、スペイン民族(プエプロ・エスパニョール)とか、イタリア民族(ポポロ・イタリアーノ)あるいはドイツ民族(ドイッチェス・フォルク)といった概念同義のものはない。
 フランスとイギリスは、その国家理念によって姿が明確に決まっている。コモン・ウェルス〔連邦=英語〕やナシオーン〔国=フランス語〕はその法の精神から公衆、市民、共同体の場をつくり出した。こうした場は、たんに民族的なつながりしか持たない場ではなく、この場を支持する者すべてを同じ権利を持つ者として迎え入れるのである。人がフランス人であり、イギリス人であるのは、生まれによるものだとしても、常にひとりの決断にしたがってのことである。人はフランス人、イギリス人になることができる。フランス、イギリスは、その国への忠誠を誓う人たちの国であり、政治的信条に立つ国家、それゆえに人間の型をきめる力、人間を同化する力を備えた国家なのである。
 これに反し、遅れてきた諸民族、神聖ローマ帝国の犠牲となった諸民族では事情が異なる。それぞれの民族が、それぞれに別の様相を呈している。「スペイン民族(プエプロ・エスパニョール)」はまだ中世的な響きを残しており、あらゆる身分の相違、貧富の差にもかかわらずひとつの統一体であり、神、教会、国王の前では子供であり続けている。まさに非ロマン主義的であり、実在的(レアール)であり、またカトリック的なのである。「イタリア民族(ポポロ・イタリアーノ)も同じように中世的な特徴を備えているが、これには風土と都市国家の伝統、ローマ市民(ポプルス・ロマーヌス)の伝統が生きている。それとともに、はっきりではないにしても共和主義国家の理念が生きている。スペイン民族、イタリア民族ともに市街、教会、広場という地中海的カトリック的生活形態を、万人の万人のため生活の目に見えるかたちを具現している。「ドイツ民族(ドイッチェス・フォルク)」は違う。実在するが目には見えない。その実体は統一体であり、創造的基盤であり、有機体に見られる動的調和なのである。このカテゴリーは普遍的人類という理念が一切を平均化してゆく、その抽象性に対抗して、ヘルダーが打ち出したもので、ココの理性的存在と、普遍的人間性つまり類的存在としての人間との間に生じた真空を埋めようという意図があった。このカテゴリーはロマン主義的であり、十九世紀には著しい現実性を持つにいたった。そして今日でも政治的理念としての力を発揮しているのである。
    −−ヘルムート・プレスナー(松本道介訳)『ドイツロマン主義とナチズム −−遅れてきた国民』講談社学術文庫、1995年、85−87頁。

        • -



Resize4460