覚え書:「医療・介護の外国人、難しい定着 受け入れ8年 資格取得600人、3割は離脱」、『朝日新聞』2016年09月18日(日)付。

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医療・介護の外国人、難しい定着 受け入れ8年 資格取得600人、3割は離脱
2016年9月18日
 
帰国を決め、荷造りをするインドネシア人女性介護福祉士。1箱は勉強で使った介護と日本語の本で埋まった=東京都内
 
 経済連携協定(EPA)で外国人の看護師や介護福祉士を受け入れて8年。インドネシア、フィリピン、ベトナムから計4千人近くが来日し、600人余が国家試験に合格した。労働力として期待される一方、合格者の3割以上は帰国などEPAの枠組みから離れた。「定着」はなぜ難しいのか――。

 ■合格後、助成打ち切り 勉強時間もなし

 8月下旬、介護福祉士インドネシア人女性(31)が6年間暮らした日本を離れ、母国に帰った。大きな段ボール箱一つ分は、介護と日本語の勉強の本で埋まった。

 「もう、疲れ果ててしまった」

 来日前はインドネシアで小児科の看護師として働いていた。EPAの募集を知ると、アニメで憧れた日本に行けると夢が膨らみ、2009年に応募した。

 来日後は施設で働きながら研修し、4年目の介護福祉士の試験に備える。仕事は楽しく、覚えた日本語で利用者と冗談を言い合った。夕方には自習時間があり、月2回は日本語教室に通わせてもらった。制度や専門用語は難しかったが、過去の問題を頭にたたき込み、14年に合格した。

 ところが、合格後に生活は変わった。国が助成金をつけて施設に研修を求めているのは合格するまで。勉強の時間はなくなり、家賃補助は半分に減った。合格しても給料はほとんど上がらず、長期休暇も取りづらかった。

 昨年末から夜勤リーダーの見習いが始まった。最初ははりきったが、期待はすぐにしぼんだ。日勤への申し送りは、15分間で入所者42人分の夜間の状況を口頭で伝える。「失禁があって全更衣しました」など日常会話では使わない言葉を早口で言う。発音が悪いと、「何を言っているか分からない」とダメ出しされた。

 毎晩残って練習し、3カ月間の見習い期間の最後に臨んだ試験。5人分の状況を伝えるのに10分かかったところで、打ち切られた。

 このころ、日本の受け入れ調整機関の国際厚生事業団に送ろうと書き留め、送れなかったメールがある。

 「ずっと我慢して仕事をしながら、申し送りの勉強をしていましたが、やはり疲れました」

 追い詰められて笑顔をなくし、帰り道に何度も涙を流した。上司に「辞めたい」とこぼすと、「今の状態じゃどこも雇ってくれない」と返された。たまたま母国で結婚話が持ち上がり、帰国を即決した。

 「頑張って頑張って合格したけど、もっと高い壁がある。私は日本人と同じようにはなれない」

 別のインドネシア人女性の看護師(32)も帰国が頭をよぎる。一緒に来日したインドネシア人の男性看護師と結婚して、2人の子どもを授かった。

 弟や妹を大学へ行かせるため、故郷へ仕送りを続ける。月6万円の保育料は高かったが、共働きで生活費をやりくり。困るのは、子どもが病気になった時だ。

 せき込む娘を腕に抱き、勤め先の病院に「今日も休ませてください」と連絡するのが心苦しい。合格すれば両親を呼び寄せて子育てを手伝ってもらえると期待していたが、制度上、配偶者と子どもしか呼び寄せられないことを知った。

 仕事は忙しく、このまま夫婦2人だけで子育てをすることに限界を感じる。

 「日本の子育てや年金の制度は外国人には難しい。日本は私たちの将来まで考えてくれているのか」

 ■悩み共有・解決へ、当事者コミュニティー

 国際厚生事業団は受け入れた外国人が働く施設を巡回し、週に2回の電話相談を行っている。ただ、合格者の悩みは子育てや転職など複雑になっている。こうした悩みを共有して情報を交換しようと、インドネシアから来日した合格者は昨年12月に「インドネシア人看護師・介護福祉士協会」を立ち上げた。

 断食月中の6月、横浜市内の団地の一室で開いた集会に約40人が集まった。「入浴介助では暑いからベールを外すようにと上司に言われた」と女性介護福祉士が訴えると、「気持ちを伝えた方がいい。1人で難しいなら説明を手伝う」と他の女性が応じた。

 まとめ役の男性看護師モハマド・ユスプさん(35)は「これまでは合格するのに一生懸命だったが、生活するには、みんなで支え合って問題を解決でき、孤独にさせないコミュニティーが必要」と言う。関西や四国には支部ができた。

 ユスプさんは第一陣で来日して8年。12年に合格してインドネシアから妻を呼び寄せ、小学5年と3歳の息子2人を育てている。

 東京都杉並区の河北総合病院の整形外科病棟。ユスプさんが骨折して入院中の高齢女性の足先に触れ、「指は動かせますか」と尋ねると、「動かすと前より痛い」。「少し腫れてますね。冷やしましょう」と笑顔で応じ、病室を出た。電子カルテには「体動時疼痛(とうつう)増強」と素早く打ち込んだ。

 「ここまでできるのに合格して3年かかった。同僚が理解し、助けてくれたからここまで来られた」

 EPAが始まった当初から日本語教育などを支援してきた名古屋市の平井辰也さん(52)は昨年7月、相談窓口として「EPA看護師介護福祉士ネットワーク」を発足させた。労使トラブルから税金や年金の手続き、家族の呼び寄せといった相談が寄せられる。

 フィリピン人の女性看護師(30)は頼りにしていた上司が退職し、働き続けることが不安になった。「帰国したい」と相談すると、平井さんは転職の道もあることを教え、外国人看護師などの専門転職サイトを教えた。「相談できて助かった。合格した後の日本政府のサポートは十分ではない」と女性看護師。平井さんは「EPAは国と国の協定だからこそ、国が関与して法的な権限でトラブルの解決や未然防止、監視ができる第三者機関が必要ではないか」と主張する。

 長崎大大学院の平野裕子教授(保健医療社会学)は昨年12月、インドネシア日本大使館がEPAを離れた帰国者を集めた就職説明会で調査をした。回答した帰国者29人のうち、13人が「日本で仕事をする生活に疲れた」と答えた。そのうち8人は合格者だった。

 平野教授は「看護や介護は日本人にとっても楽な仕事ではない。言葉の問題をクリアした先には、多忙や子育ての難しさといった日本人にも共通する悩みを抱える人がいる。根本の問題が解消されない限り、日本人と同じように外国人も疲弊する。日本の働き方自体を見直す時だ」と訴える。(松川希実、森本美紀)
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12565105.html





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