覚え書:「100人100色の痛快なカタルシス ボブ・ディラン、ノーベル文学賞 音楽評論家・萩原健太さん寄稿」、『朝日新聞』2016年10月17日(月)付。

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100人100色の痛快なカタルシス ボブ・ディランノーベル文学賞 音楽評論家・萩原健太さん寄稿
2016年10月17日


ボブ・ディラン
 フォーク、ロックの伝道者としてライブを続けながら、文学の深みへと歩みを重ねてきた米ミュージシャンで作詞家のボブ・ディラン(75)。ノーベル文学賞の決定は、ポピュラー音楽界では初とみられる。意外性も含め反響は大きい。音楽評論家の萩原健太さんに、ディランが「吟遊詩人」たるゆえんについて、評してもらった。

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 ボブ・ディランの歌詞は難解だ。特に英語は不得手だという人が多い日本人にとって、彼の歌詞に正対することはある種の苦行。数十年、彼の音楽を愛し続けてきたぼくも、新作が出るたび辞書片手に格闘し、それでも意味がわからず英語圏の友人に質問したことが幾度となくある。あげく友人からの返答は「いや、俺にもわからない」なのだから、手に負えない。

 が、そんなぼくの中途半端な理解力でも、彼の歌詞がとてつもなく魅力的に躍動していることはわかる。見たこともないつづりの単語もある。人称が混乱していることもある。不条理な語の並びも少なくない。が、作為、無作為問わず、ディランによって選び取られたそれらの語の連なりが描きあげる世界観は、この上なく多層的かつ刺激的だ。

 デビュー当初は、特定の対象を断罪するプロテストソング、時事ネタを扱うトピカルソングなど、歌詞の意味を重視した楽曲も多く見受けられた。フォークソングウディ・ガスリーやレッドベリー、ブルースのロバート・ジョンソンら米大衆音楽の偉大な先達の味わいを正統に受け継ぐ表現だった。

 が、キャリアを重ねる中、ディランの歌詞はより抽象的に変化していった。詩人のアルチュール・ランボー、T・S・エリオット、アレン・ギンズバーグ、さらには映画監督のフェデリコ・フェリーニらからの影響を色濃くたたえたイメージ豊かな宇宙を構築し始めた。

 新鮮な押韻と謎めいた暗喩に満ちた言葉の渦。時には内容に関係なく、韻を踏むためむりやり投入したとしか思えない語句もあった。が、それがまた奇妙な異化効果をもたらし、予想外の光景を現出させていく。つじつまは合わないのにイメージがさらにふくらむ。ぼくたちはそんな大渦にのみ込まれ、ディランの真意をつかみかねたまま翻弄(ほんろう)され、やがてそれぞれの身勝手な解釈のもと、それぞれの物語を紡ぎあげていく。こうして100人の聞き手がいれば100人それぞれのボブ・ディラン・ワールドが生まれるわけだが。

 とはいえ、そんなふうに細分化したディラン像がひとつに束ねあげられる瞬間もある。ディランの場合、曲が1、2、3番……と流れていくとして、1番ごとの最終行に曲名に冠されたフレーズが位置していることが多い。

 代表曲「風に吹かれて」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「ブルーにこんがらがって」などすべてこのパターンだ。どれも歌詞のそこかしこに混沌(こんとん)が渦巻いている。が、膨大な、判然としない言葉の渦を抜け1番ごとの最終行へ行き着いたところで、曲名でもある決めフレーズが鮮やかに歌い放たれる。その瞬間、聞き手に押し寄せるカタルシスたるや、まるで優れた小説のクライマックス。この、ある種の「ツンデレ感」をともなった痛快さが多様なディラン像をひとつに束ねてくれる。

 巧みな表現者だ。後進への多大なる影響も含め、彼の表現が文学として確かな評価を得たことを心からうれしく思う。(寄稿)

 ■時代に響く詩を顕彰/彼は音楽家、権威不要

 ディランへの授賞について詩人の吉増剛造さんは「ビートルズとは違う意味で詩を心の底に響かせてくれた」とし、「いまという時代に流れる歌声にノーベル文学賞が与えられたことに感動を覚える。ビートジェネレーションの文学や日本の現代詩につながる彼の詩を顕彰するもので、スウェーデン・アカデミーの判断に敬意を表します」。

 一方、文芸評論家の川村湊さんは「ミュージシャンへの授賞によって、顕彰の対象が広がる可能性もあるとは言える」と指摘しつつ、疑問も呈さざるをえないという。「私自身、ディランの作品が好きだし、詩が評価されたのでしょう。でも、やはりディランはミュージシャンで、しかも1960年代から活躍している。今になって、ノーベル賞という権威によって追認することで、何が変わるというのでしょう」

 <Bob Dylan> 1941年、米ミネソタ州ダルース生まれ。カントリー音楽やブルースに影響を受けて高校時代から音楽活動を始めた。62年にアルバム「ボブ・ディラン」でデビュー。代表曲に「風に吹かれて」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「天国への扉」などがある。来日公演も頻繁で、2016年4月のライブではポピュラーのスタンダード曲なども交え、聴衆を感心させた。
    −−「100人100色の痛快なカタルシス ボブ・ディランノーベル文学賞 音楽評論家・萩原健太さん寄稿」、『朝日新聞』2016年10月17日(月)付。

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