覚え書:「政治断簡 立つ人、立たぬ人 政治部次長・高橋純子」、『朝日新聞』2016年10月16日(日)付。
-
-
-
- -
-
-
政治断簡 立つ人、立たぬ人 政治部次長・高橋純子
2016年10月16日
気味が悪い。
気色が悪い。
気持ち悪い。
あら日本語って本当にバリエーション豊富。ねえ僕ちゃん、どれにする? 私はやっぱり「味」かしら……って何の話がしたいかというと、先の安倍晋三首相の所信表明演説、自民党議員のスタンディングオベーションである。
「心からの敬意を表そうではありませんか」
なぜ海上保安庁、警察、自衛隊に限って敬意を表するのか。日本はかつてそうやって、少しずつ道を踏み外していったのではないか――。言葉を並べて違和を表明することはできる。でもどこか、わずかだけれど、ズレてしまう。
何となく恐ろしく、気持ちがよくない=気味が悪いと「大辞林」は言う。そう。うまく言葉にならない。野党の追及が精彩を欠くのもそのためだろう。
だからと言って放っておくと、私たちは慣れる。気味の悪いことはすぐに普通のことになる。別に政権が意図しているとは思わないが、馴(な)らされる過程に今あるとは思う。キミガワルイ。初発の違和を手放さず、たどたどしくとも自分なりの言葉にして、対峙(たいじ)するしかない。
*
というわけで。なぜわが胸中に気味が悪いという感情が湧いたか、掘り下げてみる。
つながったのだ。起立・拍手と、昨年5月、安全保障法制と自衛隊のリスクをめぐる首相の国会答弁が。
「みずから志願し、危険を顧みず職務を完遂することを宣誓したプロ」
安倍氏は、自衛隊を「プロ」と評した初めての首相だ。いや、正確には2008年、当時の福田康夫首相が自衛艦と漁船の衝突事故に絡み、海上自衛隊を「海上交通のプロ」と言ってはいるが、文脈が異なるので除外する。
さて自衛隊は、なんのプロなのだろうか。どうして首相は、なんのプロであるか言明しないのだろう。
「もちろん、それでもリスクは残ります。しかし、それはあくまでも、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために自衛隊員に負ってもらうものであります」
そこにかぶさる今回のスタンディングオベーション。
殺す。殺される。危険を顧みず。だってプロだから――。
「敬意」という薄紙にくるまれているものはなんだ?
*
立つ人あれば立たぬ人あり。
米プロフットボールリーグ(NFL)49ersのコリン・キャパニック選手は、試合前の国歌演奏時、不起立を続けている。米国内での人種差別への抗議を意図したものだが、国歌への思い入れがケタ違いの彼の国、しかもスター選手の所業ゆえ、賛否両論が巻き起こっている。オバマ大統領は「憲法で保障されている表現する権利を行使している」と擁護したという。
比べるつもりはない。ただ書いておく。安倍首相は、敬意だから、野党議員も座って拍手すれば良かったという趣旨の話を、若手議員らとの会食の席でしたそうだ。
はい、今日はここまで。起立!――でつい立っちゃったアナタ、後で職員室へ。
−−「政治断簡 立つ人、立たぬ人 政治部次長・高橋純子」、『朝日新聞』2016年10月16日(日)付。
-
-
-
- -
-
-
http://www.asahi.com/articles/DA3S12610172.html