覚え書:「耕論 第二の人生の歩き方 内館牧子さん、デービッド・ベッカムさん、和田一郎さん」、『朝日新聞』2016年10月18日(火)付。

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耕論 第二の人生の歩き方 内館牧子さん、デービッド・ベッカムさん、和田一郎さん
2016年10月18日


イラスト・甲斐規裕

 長く取り組んだ仕事を辞めた後の人生。喪失感にさいなまれたり、過去の栄光にすがりついたりしかねない。第二の人生での心構え、それを見すえて準備することは何だろう。

 

 ■思い出と戦わず、次に進め 内館牧子さん(脚本家)

 定年って生前葬だな。こんな書き出しで始まる小説「終わった人」を昨年、出版しました。主人公は、大手銀行の出世コースから外れ、転籍先の子会社で定年を迎えた63歳の男性。この前、高校の同窓会に行ったら、みんなが「俺がモデルだろう」と言うの。読者からのはがきにも、みなそう書いてあります。

 数年前から急に、同窓会に行く機会が増えて気づきました。あんなに秀才だった男の子も、あれだけきれいだった女の子も、横一列。60歳を超えると、みんな終わるし、これから先も見えてくる。着地点は一緒なんです。

 もちろん、そこに至るまでのプロセスは異なりますよ。いい大学を出てエリートだった人の方が、いい風景を眺めてきたと思います。でもそういう人ほど、着地が下手。ソフトランディングできないから、辞めるとガツーンと衝撃が来ます。元々それほどでもない人の方が、自然に仕事以外での楽しみ方を見つけているから、うまく着地できる。世の中、うまくできているなぁと思います。

 現役中から、そば打ちを始めろということではないんです。「もっと仕事で上を目指したい」という人は、仕事第一にした方がいい。無理に趣味をやると、サラリーマンとして成仏できないと思う。プロになるわけじゃないんだから、定年後で十分です。

 よく定年のことを「卒業」というけど、潔くない言葉よね。とかく第二の人生は素晴らしいと言われるけど、そう言わないと気力が出ないですものね。会社的には、はっきり終わったのよ。そういう自分を明確に認識した上で、これからどうしたいかを考える。そこで「やっぱり仕事をしたい」となれば、ハローワークに行けばいい。

 その仕事の多くは、自分のキャリアや技術をいかすものではないと思う。だけど、自分は一度終わっているんですよ。プロレスラーの武藤敬司さんが「思い出と戦っても勝てねンだよ」と言っているけど、みな、自分の絶頂期と比べるでしょ。でも、いまの世の中は、自分の次の世代が動かしているんです。

 脚本家やフリーの人も容赦なく終わります。サラリーマンの定年より早いかもしれません。私は60歳のとき、生死の境をさまよう大病をしました。そのとき思ったんです。40代、50代を仕事第一にしておいてよかったって。あれも書いたし、これもやったし、「まっ、いいか」と思えました。脚本家として、成仏できた気になったんでしょう。

 「終わった」と認め、思い出とも戦わないと決めることが、すべてのスタートだと思います。まだ終わっていない若い人たちも、しょせん、残る桜も散る桜ですよ。そう思うと、腹も据わりますよね。

 (聞き手・岡崎明子)

    *

 うちだてまきこ 48年生まれ。三菱重工業で13年間のOL生活後、脚本家に。作品に「ひらり」「週末婚」など。

 

 ■ハードワーク、他分野でも デービッド・ベッカムさん(サッカー元イングランド代表)

 トップ選手のまま現役を引退する寂しさはありました。でも、英国やスペインなどの名門チームで選手として成功しましたし、自分の特徴である「ハードワーク」を生かして、他の分野にも挑戦してみたかった。だから、パリ・サンジェルマンでフランスリーグを制した時、絶好の引き際だと思いました。まだ、サッカーが恋しくなるときもありますが、年も取りました。サッカー人生を終える準備はできていたと思います。

 人生を通じて大切なのは目標を持ち、自分を信じ、楽しむことだと思います。長年サッカーを楽しみ、いまは米国とカナダのメジャーリーグサッカー(MLS)への参入をめざす新チームの共同オーナーとなり、ユニセフの親善大使も務めています。

 サッカー選手が自分の強みと弱みを理解し、そこから何をどう学ぶかを考えるのは大事なことです。でも、現役時代は強みを感じる暇もなかった。だから、マンチェスター・ユナイテッドファーガソン元監督には「現状に満足せず、高みを目指せ」「失敗を恐れるな」と鼓舞され、ハードワークを続けることができたのだと思います。

 一方で生活環境は大きく変わりました。たとえば選手時代は夕食の時間も、ワインを飲める時間も厳しく管理されましたが、いまは週末の試合もないので自由です。妻と一緒にワインをいつでも飲めるし、家族との過ごし方も昔とは違います。

 ワーク・ライフ・バランスを保つことは難しいことです。家族と一緒にいたいと思っても、仕事や相手の都合もあります。でも、私は家族が最優先です。妻や子どもたちがエネルギーとやる気を私に与えてくれるからです。

 選手生活を終えて新たな環境に身を置いて思うのは、自分にはっきりと意見を言ってくれる人を持った方が良いということです。家族と友人は意見が違っていたとしてもアドバイスをくれる。幸いにも私には、そうした相手が何人もいました。だから孤軍奮闘することはありません。

 仕事や生活の環境を変えてみることは、時には良いものです。いま、やっていることが幸せならば続けるべきだと思います。そんな時は、他のことをやってもうまくいかないでしょう。でも、他にやりたいことがあれば、時にリスクをとって前に進むのもよいことです。難しいことに挑む方がそれを達成するための知恵も浮かぶものです。

 私も間違いを犯してきました。そのたびに間違いから戻ってこられる幸運に恵まれました。判断を誤ることもあるでしょうが、何も決断しなければ得るものもありません。幸運は、失望の中にこそあると私は思います。

 (聞き手・都留悦史)

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 David Beckham 75年生まれ。サッカー選手を38歳で引退した。元スパイス・ガールズのビクトリアさんとの間に3男1女。

 〈+d〉デジタル版に一問一答

 

 ■起業の基本、会社で培った 和田一郎さん(リサイクル着物販売業)

 42歳の時、18年勤めた大手百貨店を辞めました。僕は「会社人生」というゲームに負けたんです。同期ともだんだん差がついていく。自分が思うほど評価もされない。辞めると言ったとき、止めてくれる人もいませんでした。

 当時、子どもは高校生と中学生。家庭生活もボロボロでした。帰るのは毎日、午後11時すぎ。カミさんは僕に話したいことがたまっていて、風呂に入っている僕にドアの向こうから話しかけてくる。それでも僕は疲れていて、聞く気力もなかった。

 40歳くらいになると同じような人は多いんじゃないですか。自分が会社を支えているという自負、負けたくないという競争心、嫌われたくないという恐れなどに追い立てられて限界まで頑張ってしまうけれど、そのペースが続かないことに気づくんです。

 辞めた半年後に、アンティークやリサイクルの着物をネットで売る商売を始めました。カミさんと二人三脚です。彼女は従業員の子どもの名前や、お客さんが飼っている犬の名前まで覚えて、ものすごい気配りができる。自分の孫の名前さえ時に忘れてしまう僕の欠点をよく補ってくれます。家族との時間が増えて、生活も安定しました。

 売り上げは年間3億5千万円です。起業家とはいえ、何百億も稼ぐITベンチャー起業家にはとても及びませんが、僕の性に合っている。自分の見える範囲にお客さんもスタッフもいて、取引先や彼らの人生を背負いながらも無理をしない自分がいる。セカンドキャリア万歳です。

 僕の場合、趣味でホームページの作り方を勉強していたのも役立ちました。「次」に備えたい人には、全く関係のない語学などを無理にやるのではなく、いまの仕事にも役立つ勉強をすることをお勧めします。その方が効率が上がりますからね。

 でもね、いま思えば商売の基本は全部、会社で教わったんですよ。僕は催事場の企画担当でした。どんなモノをどんな人にどう売るか。営業をどう説得するか。毎週毎週、考え続けました。今思えばミニ起業みたいなものでした。お客さんを呼ぶことのしんどさを知っていたことは起業ですごく役に立った。同僚や他社と互いに鍛え合い、真剣勝負をすることでしか培われないものってありますよ。

 今の仕事に忙殺されて、なかなか「次」に踏み込めない人は多いと思います。手に職がない、という人もいるでしょう。でも案外、競争しながら会社員をやっていれば、セカンドキャリアで役に立つことは身についている。若い人たちは、まずは最初の仕事で百%の努力をしてみたらいいと思います。全身全霊を傾けて初めて見えてくるものがあるはずですから。

 (聞き手・田玉恵美)

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 わだいちろう 59年生まれ。「ICHIROYA」代表。著書に「僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと」。
    −−「耕論 第二の人生の歩き方 内館牧子さん、デービッド・ベッカムさん、和田一郎さん」、『朝日新聞』2016年10月18日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12612570.html





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