覚え書:「書評:夏目漱石 佐々木英昭 著」、『東京新聞』2017年03月19日(日)付。

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夏目漱石 佐々木英昭 著  

2017年3月19日
 
◆金之助の心を周密に解明
[評者]平川祐弘=東京大名誉教授
 「漱石全集は日本人の経典で、漱石は日本人の先生」(内田百〓)だが、その漱石の没後百年、新鮮な漱石像が一つものの見事に構築された。前に漱石の『それから』に綿密な注釈を施した佐々木氏は、今度は網羅的に集めた資料を微視的に観察し、細部を巨視的に位置づけて、夏目金之助の人間を周密に解き明かしたのだが、新知見が随所に光る。これは小宮豊隆流の聖人伝でもなく、愚昧な左翼国文学風解釈でもなく、『心』の「K」はKoreaを意味する式の思いつきでもない。まともで公平な伝記である。
 驚くべきは、渾然(こんぜん)たる芸術作品と化したこの学術作品の無駄のない文章の巧みさだろう。これまでのミネルヴァ評伝選の中でも、著者畢生(ひっせい)のこの大作は見違える出来栄えで、抑制のきいた共感が精密に金之助の内面を照らし出す。その探偵調査は坊ちゃんの「七人の親たち」の家庭から始まり、子規との交友、英国留学と、心理家漱石の心の内を見通すように追跡する。
 日本人の多くは漱石を読んでおり、自分の内に生きる漱石を感じている。その漱石に照らして本書を読むから読者の気持ちは動かずにいられない。かりに漱石本人がこの伝記を読めば、時に反撥(はんぱつ)し、時に感心し、時に恐縮するだろう。著者は情に流されず、関係文献を智を働かせて精査し、自己の内に生きる漱石の意地をよみがえらせた。これは花も実もある評伝だ。漱石ノートの意味の発見も重要だ。それをスリム化させたのが惜しまれる。
 一九一六年に死去して以来、漱石関連の書物は出続けている。十中八九つまらない。それだけに十中一二、興味津々たる作物に出くわすとまことに嬉(うれ)しい。例を示せば、漱石の思い出は弟子筋では森田草平、身内では鏡子夫人が群を抜いてよい。漱石とその時代を描かせれば江藤淳。そして伝記では今回の佐々木英昭の内的な漱石伝が秀逸だ。漱石自身の文章と同じくらい読んで面白く、豊かで滋味に富んでいる。
ミネルヴァ書房・3780円)
 <ささき・ひであき> 1954年生まれ。龍谷大教員。著書『漱石先生の暗示』など。
◆もう1冊 
 十川信介編『漱石追想』(岩波文庫)。友人や編集者、教え子、家族など四十九人の回想で、多面的な漱石像を浮かび上がらせる。
※〓は、門のなかに月
    −−「書評:夏目漱石 佐々木英昭 著」、『東京新聞』2017年03月19日(日)付。

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